ラッセル『私の哲学の発展』第13章 言語 n7

 世界には(単一ではなく)複合的(である)と見えるものが多くある。もちろん複合的でないものが存在するかもしれないが、(今)その点についてひとつの見解を持つ(立てる)必要はない。 あるものが複合的である場合、それらものは諸部分と諸部分の間の関係からなっている。(たとえば)テーブルは(数本の)足と平らな上面からなっている。 ナイフは柄と刃からなっている。事実は - (今)私が使っている言葉としての事実は - 常に、ひとつの全体のなかの諸部分の関係、あるいは、単一物の諸性質からなっている。事実とは、要するに(in a word)、完全に単純なもの(if anything もしあるとして)を除けば、存在するもの全てである。二つのものが相互に関係を持つとき、それらは一つのものとみなしてよいところの一つの複合物を形成する。 「事実」という語は、諸部分がつくる複合的な全体を言い表わす(表現する)よりも、むしろ諸部分の間の分析された関係を言い表わすのに用いる方が便利である。 文はそれが真である場合、そのような関係を言い表し、偽である場合にはそのような関係を言い表さない。 爆発的に一語を用いる場合(訳注:たとえば、「火事だ!」)は別として、二つ以上の語からなる文は全て、複合物についてのある程度の分析を具現化している(具体的に表現している)(訳注:All sentences that consist of more than one word used explosively embody の訳文は要注意)。もしいくつかの複合物がすべてひとつの共通な構成要素をもつ とすれば、そのことは、それら複合物を分析する文がすべてひとつの共通語を含むという事実によって示されるであろう。たとえば次の文をとってみよう。 「ソクラテスは賢明であった。」 「ソクラテス はアテネ市民であった。」 「ソクラテスはプラトンを愛した。」 「ソクラテスは毒人参(hemlock)を飲んだ。」  これらの文は全て「ソクラテス」という語を含み、これらの文を真にする事実は全て、ソクラテスという人間を一つの構成要素として含んでいる。  これが、これらの文がソクラテス「についての(about)」ものであると我々が言う時に、意味していることである。ソクラテスは、これらの文を真にする諸事実の中に,分析されない一つの全体(an unanalysed whole)としてはいっている。 しかし(分析されない全体と言っても)もちろん、ソクラテス自身は複合物(複合体)であったのであり、我々はこの複合性を主張する他の文を作ることができる。たとえば「ソクラテスは獅子鼻(snub-nosed)であった」とか「ソクラテスは二つの脚をもっていた」とかいう文である。これらの文(複数)は与えられた一つの全体を分析している(ものである)。ある時期に分析がどこまでなされるかは、その時の科学の状態によって決まる(注:関係する科学が進めば進むほどいろいろなことを言えるようになる)。一つの全体の諸部分が相互に関係する仕方は、その全体の「構造」を構成する。この点については、『人間の知識』(pp.267-269)から次の一節を引用しておこう。(続く)

 世界には(単一ではなく)複合的(である)と見えるものが多くある。もちろん複合的でないものが存在するかもしれないが、(今)その点についてひとつの見解を持つ(立てる)必要はない。 あるものが複合的である場合、それらものは諸部分と諸部分の間の関係からなっている。(たとえば)テーブルは(数本の)足と平らな上面からなっている。 ナイフは柄と刃からなっている。事実は - (今)私が使っている言葉としての事実は - 常に、ひとつの全体のなかの諸部分の関係、あるいは、単一物の諸性質からなっている。事実とは、要するに(in a word)、完全に単純なもの(if anything もしあるとして)を除けば、存在するもの全てである。二つのものが相互に関係を持つとき、それらは一つのものとみなしてよいところの一つの複合物を形成する。 「事実」という語は、諸部分がつくる複合的な全体を言い表わす(表現する)よりも、むしろ諸部分の間の分析された関係を言い表わすのに用いる方が便利である。 文はそれが真である場合、そのような関係を言い表し、偽である場合にはそのような関係を言い表さない。 爆発的に一語を用いる場合(訳注:たとえば、「火事だ!」)は別として、二つ以上の語からなる文は全て、複合物についてのある程度の分析を具現化している(具体的に表現している)(訳注:All sentences that consist of more than one word used explosively embody の訳文は要注意)。もしいくつかの複合物がすべてひとつの共通な構成要素をもつ とすれば、そのことは、それら複合物を分析する文がすべてひとつの共通語を含むという事実によって示されるであろう。たとえば次の文をとってみよう。 「ソクラテスは賢明であった。」 「ソクラテス はアテネ市民であった。」 「ソクラテスはプラトンを愛した。」 「ソクラテスは毒人参(hemlock)を飲んだ。」  これらの文は全て「ソクラテス」という語を含み、これらの文を真にする事実は全て、ソクラテスという人間を一つの構成要素として含んでいる。  これが、これらの文がソクラテス「についての(about)」ものであると我々が言う時に、意味していることである。ソクラテスは、これらの文を真にする諸事実の中に,分析されない一つの全体(an unanalysed whole)としてはいっている。 しかし(分析されない全体と言っても)もちろん、ソクラテス自身は複合物(複合体)であったのであり、我々はこの複合性を主張する他の文を作ることができる。たとえば「ソクラテスは獅子鼻(snub-nosed)であった」とか「ソクラテスは二つの脚をもっていた」とかいう文である。これらの文(複数)は与えられた一つの全体を分析している(ものである)。ある時期に分析がどこまでなされるかは、その時の科学の状態によって決まる(注:関係する科学が進めば進むほどいろいろなことを言えるようになる)。一つの全体の諸部分が相互に関係する仕方は、その全体の「構造」を構成する。この点については、『人間の知識』(pp.267-269)から次の一節を引用しておこう。(続く)

Chapter 13: language, n.7
Many things in the world can be seen to be complex. There may be things which are not complex, but it is unnecessary to have an opinion on this point. When things are complex, they consist of parts with relations between them. A table consists of legs and a flat top. A knife consists of a handle and a blade. Facts, as I am using the word, consist always of relations between parts of a whole or qualities of single things. Facts, in a word, are whatever there is except what (if anything) is completely simple. When two things are interrelated they form together a complex which may be regarded as one thing. It is convenient to use the word ‘fact’ to express the analysed connection of the parts rather than the complex whole that they compose. Sentences express such relations when the sentences are true, and fail to express them when the sentences are false. All sentences that consist of more than one word used explosively embody some analysis of a complex. If a number of complexes all have a common constituent, this may be shown by the fact that the sentences analysing them all contain a common word. Take, for example, the following sentences: ‘Socrates was wise’; ‘Socrates was Athenian’; ‘Socrates loved Plato’; ‘Socrates drank the hemlock’. All these sentences contain the word ‘Socrates’, and all the facts that make them true contain the man Socrates as a constituent. This is what we mean when we say that the sentences are ‘about’ Socrates. Socrates enters into the facts that make these sentences true as an unanalysed whole. But Socrates was, of course, himself complex, and we can make other sentences in which this complexity is asserted, as, for example, ‘Socrates was snub-nosed’ or ‘Socrates had two legs’. Such sentences analyse a given whole. How far the analysis can be carried at any one time depends upon the state of science at that time. The manner in which the parts of a whole are interrelated constitutes the ‘structure’ of the whole. As to this, I will quote the following passage from Human Knowledge (pages 267-9):  
 Source: My Philosophical Development, 1959, by Bertrand Russell
 More info.https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_13-070.HTM



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