幼児期の恥ずかしい思い出のひとつ - 子供の心、親知らず

Einstein_Imagination 最も鮮明な,幼い時の私の記憶の多くは,恥かしい思い出(記憶)である。1877年の夏(ラッセル5歳),祖父母はカンタベリー大主教(注:英国国教会とその世界的組織である聖公会(アングリカン・コミュニオン)の最上席の聖職者)からブロードステアーズの近くのストーン・ハウスと呼ばれた一軒の家を借りた。そこへゆく汽車の旅は私にはとても長いものに思われた。しばらくして私は,スコットランドに到着したに違いないと考えはじめていたので,次のように言った。

僕たちは今どの国にいる?

祖父母たちはみんな私のことを笑って言った。

海を渡らなくては英国から外に出られないということを知らなかったの?

私はあえて説明しようとはしなかった。そして恥ずかしい気持ちでいっぱいになった。
松下注:言うまでもなく,ラッセルが言いたいのは,英国は,イングランド,スコットランド,ウェールズ,北アイルランドおよび植民地だった自治領等から構成されており,スコットランドは狭義の意味ではイングランドとは別の国のはずだということ。)

Many of my most vivid early memories are of humiliations. In the summer of 1877 my grandparents rented from the Archbishop of Canterbury a house near Broadstairs, called Stone House. The journey by train seemed to me enormously long, and after a time I began to think that we must have reached Scotland, so I said:
‘What country are we in now ?
They all laughed at me and said:
‘Don’t you know you cannot get out of England without crossing the sea ?’
I did not venture to explain, and was left overwhelmed with shame.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 1, 1967]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB11-170.HTM

[寸言]

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親からみた場合,子供の発言は,時に想像力豊かに見えたり,幼く見えたりする。親も自己中心的なところや先入観があり,「子供の言うことだから・・・(あてにならない/言葉通りに受け取ることはない)」と言うかと思うと,「子供は(そのようなことで)嘘をつかない・・・」と言ったりして,自分の都合の良い解釈をしたりする。ラッセルの場合も同じであり,親が想像する以上に知的に早熟であるとともに,周囲の大人には理解されない子供らしい感受性も多く持っていた。それゆえ,しだいに内向的になっていくことになる。

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