ラッセルの最も不幸な時期-情緒的にも、知的にも行き詰まり・・・

ALYS1905 その間,アリス(注:ラッセルの初婚相手/右写真)は私以上に不幸であり,また,彼女が不幸であることが私自身の不幸の原因の大きな部分をしめていた。私たち夫婦は,過去きわめて多くの時を,彼女の家族と一緒に過ごした。しかし,私は彼女に,もうこれ以上彼女の母にがまんができないのでファーンハーストを去らなければならないと告げた。私たちは,その年(1902年)の夏を,ウスターシャー州にあるブロードウェイの近くで過ごした。私は,心痛のため感傷的になり,「我々の心は,死せる希望の廃墟のために立派な霊廟を建てる(Our hearts build precious shrines for the ashes of dead hopes)」といったような文句をよく作った。メーテルリンクの作品を読むこと「さえ」した(注:ラッセルは元来「神秘主義」を好まないためこのような表現になっていると思われる)。この頃以前に,グランチェスターにおいて,私は,悲惨の頂点と危機のうちに,『数学の原理)』(The Principles of Mathematics, 1903)を書き上げた。原稿を書き終えたのは,(1902年)5月23日(注:ラッセルがちょうど30歳の時)のことであった。ブロードウェイで私は,後に『プリンキピア・マテマティカ』になる,数学の精密化に専念した。それまでは,この仕事でホワィトヘッドの協力を得ていたが,自分自身なるがままにしていた非現実的で,不誠実で,感傷的な気分が,私のこの数学の仕事に対してさえも影響を与えていた。私は,草稿の初めの部分をホワイトヘッドに送ったこと,また「すべてが,この本の目的さえも,証明を簡単できちんとしたものに見えるようにするために,犠牲にされている。」という返事を受け取ったことを記憶している。私の仕事上のこの欠点は,当時の私の精神状態における道徳的欠陥によるものであった。

TP-AOBR1Meanwhile Alys was more unhappy than I was, and her unhappiness was a great part of the cause of my own. We had in the past spent a great deal of time with her family, but I told her I could no longer endure her mother, and that we must therefore leave Fernhurst. We spent the summer near Broadway in Worcestershire. Pain made me sentimental, and I used to construct phrases such as ‘Our hearts build precious shrines for the ashes of dead hopes’. I even descended to reading Maeterlinck. Before this time, at Grantchester, at the very height and crisis of misery, I finished The Principles of Mathematics. The day on which I finished the manuscript was May 23rd. At Broadway I devoted myself to the mathematical elaboration which was to become Principia Mathematica. By this time I had secured Whitehead’s cooperation in this task, but the unreal, insincere, and sentimental frame of mind into which I had allowed myself to fall affected even my mathematical work. I remember sending Whitehead a draft of the beginning, and his reply: ‘Everything, even the object of the book, has been sacrificed to making proofs look short and neat.’ This defect in my work was due to a moral defect in my state of mind.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 6: Principia Mathematica, 1967]
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/AB16-110.HTM

[寸言]

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 ラッセルは生涯において最も不幸な時期(1901年頃)をグランチェスター(のホワイトヘッドの家/右写真)で過ごした。すぐ近くにある水力製粉所の水車のカタコトという音がラッセルの悲痛な思いを倍加していった。そうして、有名なエッセイ「自由人の信仰(崇拝するもの)」を執筆し始めた。
https://russell-j.com/beginner/AB16-090.HTM

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