ラッセル『宗教と科学』第5章 魂と肉体 n.21

 科学が(人間の魂の)不死の問題について何を主張すべきかは必ずしも明確ではない。実際,少なくともその意図において(in intention)完全に科学的であろうとする死後の生存(死後の生/あの世)に関する一つの系列の議論/論拠(one line of argument)があることは確かである(注:survival after death = life after death: 「死後の生」というのは表現上おかしいが,肉体が死んだ後に魂が生き続けること)。- 私が言おうとしている(意味している)のは,心霊研究(psychical research)によって探求される現象と関連した系列の議論/論拠のことを意味している。私はこの問題について既存の証拠を判断するだけの充分な科学的知識を持っていない。しかし,理性的な人間(reasonable men)を納得させる証拠が存在しうることは明らかである(注:「合理的/理性的に考えることができる人間なら,死後の生命があるかどうかを判断できる証拠が存在する可能性がある」といった意味。荒地出版社刊の津田訳では「★理論家★を納得させるだけの証拠が存在し得たことは明らかである」となっている。こういった訳では「死後の生」があることを証明する証拠が存在した可能性が(過去に)あったとラッセルが言っているかのような誤解を与えそう。ラッセルは是非の判断ができる証拠を見つけられるはずと言っているだけであり,「死後の生」のある証拠が見つかるはずだとは言っていない)。けれども,これに対してはある程度但し書き(proviso)をつけなければならない。第一に,その証拠は,せいぜい(at the best よくても),我々(人間)は(肉体の)死後(一定期間)生存する(生き続ける)ことだけを証明するだろうが,我々(人間)が永遠に生存することを証明しないだろうということである。第二は,強い欲求をもっている場合(involved 関与している場合),普段(habitually いつも)正確である人の証言であってさえも,その証言を受入れることはとても困難である。このことについては,大戦中(注:第一次世界大戦中)に多くの証拠(と言われるもの)があったし,興奮の激しい時代には常にそうであった。第三に,もし他の根拠から,我々の人格が肉体(の死)とともに死なないということはありそうもないように思われる場合には,そういう仮説(死後の生肯定仮説)が蓋然性を持つ(可能性がある)と考える場合よりも,我々はより強力な死後の生に関する証拠を必要とするであろう,ということである(以上,3つの但し書き)。最も熱烈な精神主義者でさえ,歴史家が魔女たちがサタン(悪魔)に身を委ねたことを証明するためにあげることができるほど(as historians can adduce to prove) -しかしそのような証拠が検証に値すると考える者はほとんどいないだろうが- 死後の生(があること)についての証拠を持っているふりをすることはできなかった(のである)(注:歴史家も魔女たちがサタンに身を委ねたことを証明するための証拠をあげることはほとんどできないという事実との対比)。

Chapter 5: Soul and body, n.21
What science has to say on the subject of immortality is not very definite. There is, indeed, one line of argument in favour of survival after death, which is, at least in intention, completely scientific – I mean the line of argument associated with the phenomena investigated by psychical research. I have not myself sufficient knowledge on this subject to judge of the evidence already available, but it is clear that there could be evidence which would convince reasonable men. To this, however, certain provisos must be added. In the first place, the evidence, at the best, would only prove that we survive death, not that we survive for ever. In the second place, where strong desires are involved, it is very difficult to accept the testimony even of habitually accurate persons ; of this there was much evidence during the War, and in all times of great excitement. In the third place, if, on other grounds, it seems unlikely that our personality does not die with the body, we shall require much stronger evidence of survival than we should if we thought the hypothesis antecedently probable. Not even the most ardent believer in spiritualism could pretend to have as much evidence of survival as historians can adduce to prove that witches did bodily homage to Satan, yet hardly anyone now regards the evidence of such occurrences as even worth examining.
 出典:Religion and Science, 1935, chapt. 5:
 情報源:https://russell-j.com/beginner/RS1935_05-210.HTM

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