ラッセル『権力-その歴史と心理』第7章 革命的な権力 n.14

 (二)宗教改革(続き)

 けれども,エラストウス主義は,(教会と直接関わりのない)個人的な信仰心(personal religion)の強い人々にとっては満足を与えるものでは決してなかった。(たとえば)(カトリック教の)煉獄の実在に関する問題について,人々に(英国)議会の権威に従うことを求めることは,いささかグロテスク(異様でばかげたもの)であった。キリスト教独立教会派の人々は,神学的権威としての国家も教会も等しく拒否し,個人の判断の権利を,その必然の結果として宗教上の寛容とともに(を併せて),主張した(注:東宮氏は,the right of private judgment を「個人の判断の”正しさ“」と訳している。個人の判断が必ず正しいなどと主張できるはずはなく、“right” はここでは当然「権利」であろう)。このような考えかたは,世俗的専制政治に対する反逆と容易に結びついた。もし各個人に,自分自身の神学上の意見を持つ権利があるとすれば,おそらく,他のいろいろな権利もあるはずではないか? 政府が市民(個人)に対して合法的に(正当に)為しうるものごとに対しても割り当てることができる制限が存在しないであろうか?(制限があるはずではなかろうか)。そういうわけで,人権説は,クロムウェルに従ったがために敗北を喫した人々(注:清教徒)によって大西洋を渡り,ジェファーソンによって米国憲法に具現化され,再びヨーロッパに持ち帰られ,フランス市民革命となったのである。

Chapter VII: Revolutionary Power, n.14

Erastianism, however, could never be satisfactory to men in whom personal religion was strong. There was something grotesque in asking men to submit to the authority of Parliament on such questions as the existence of Purgatory. The Independents rejected the State and the Church equally as theological authorities, and claimed the right of private judgment, with the corollary of religious toleration. This point of view readily associated itself with revolt against secular despotism. If each individual had a right to his own theological opinions, had he not, perhaps, other rights as well? Were there not assignable limits to what governments might legitimately do to private citizens? Hence the doctrine of the Rights of Man, carried across the Atlantic by the defeated followers of Cromwell, embodied by Jefferson in the American Constitution, and brought back to Europe by the French Revolution.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER07_140.HTM

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