戦争犯罪国際法廷(ラッセル法廷)の準備-資本主義と共産主義の違いを越えて


DOKUSH49 1966年の夏,広範囲にわたる調査研究及び企画立案のもと,私は全世界の多くの人々に手紙を書き,ヴェトナム戦争犯罪国際法廷への参加を要請した。私はその反応に元気づけられ,間もなく18人前後の人々から受諾の返事をもらった。特にうれしかったのは,ジャンポール・サルトルが参加してくれたことであった。なぜならば,哲学上の問題では私たちは意見を異にしていたけれども,私は彼の勇気を大いに称賛していたからである。ユーゴースラヴィアの作家,ヴラディミル・デディイエル(Vladimir Dedijer, 1914-1990.11.30:ユーゴスラビアの政治家,歴史家/ウラジミール・デディエ(?))はだいぶ前に,ウェールズに私を訪ねて来たことがあった。彼の西側世界と共産世界との両方の世界に関する幅広い知識から,彼は貴重な盟友であることがわかった。私はまた,随筆家で政治関係の著作家でもあるアイザック・ドイッチャー(Isaac Deutscher,1907-1967.8.19:イギリスの歴史学者,ジャーナリストで,トロツキー伝で有名) -彼とは10年間会っていなかった- をかなり頼みとするようになっていた。国際法廷に関してあまりに多くのテレビやテレビ以外のインタービューの申し込みがあるときはいつも,ロンドンにいるドイッチャーに頼んで記者会見を開いてもらい,世界的な問題やわれわれ自身の活動について,詳しい情報に基づいた,説得力のある評価を与えてもらうことができた。
私は1966年11月,国際法廷のメンバー全員を予備的な議論をするためにロンドンに招き,そして(ラッセル『ベトナムにおける戦争犯罪』の)章末に掲げてあるスピーチをかわきりに議事を開始した。ヴェトナムで現に起こっていることを細心の注意を払って調査することは不可欠のことであると思われた。それで私は,疑いもなく’誠実だと思われる人たちだけを招聘した。その会合は大成功であった。そして私たちは,翌年に何週間も長期にわたって国際法廷の公開セッションを開催する準備を行った。

In the summer of 1966, after extensive study and planning, I wrote to a number of people around the world, inviting them to join an International War Crimes Tribunal. The response heartened me, and soon I had received about eighteen acceptances. I was especially pleased to be joined by Jean-Paul Sartre, for despite our differences on philosophical questions I much admired his courage. Vladimir Dedijer, the Yugoslav writer, had visited me earlier in Wales, and through his wide knowledge of both the Western and Communist worlds proved a valuable ally. I also came to rely heavily on Isaac Deutscher, the essayist and political writers whom I had not seen for ten years. Whenever there were too many requests for television and other interviews about the Tribunal, I could rely on Deutscher in London to meet the press and give an informed and convincing assessment of world affairs and of our own work. I invited all the members to London for preliminary discussions in November, 1966, and opened the proceedings with a speech to be found at the end of this chapter. It seemed to me essential that what happening in Vietnam should be examined with scrupulous care, and I had invited only people whose integrity was beyond question. The meeting was highly successful, and we arranged to hold the public sessions of the Tribunal over many weeks in the following year, after first sending a series of international teams to Indo-China on behalf of the Tribunal itself.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3:1944-1969 ,chap4:The Foundation,(1969)
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB34-280.HTM

[寸言}
「戦争犯罪」を政治的に扱うのではなく,あくまでも「人道的な見地」から扱うことから,ラッセル法廷の各メンバーの政治的立場によって、自分たちの都合のよい事実だけをつなぎあわせることがあってはならない。従って、審理にはかなり時間がかかることになり、忍耐心が必要になる。そのような努力を払ってたとしても、被告となっている戦争当事国や関係者は必ず,法廷メンバーは「彼らは共産主義者だ」とか、」事実誤認だ」とか言って、裁判を行う権利や資格などないと言って侮蔑した上で無視する(無視することを国民に訴える)であろうが・・・。

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