「精神」も「物質」も(物も心も)ともに幻想である

 プラトンは --宗教によって補強されて-- 既知の世界精神と物質(注:日本語では,「心と物」ではなく,通常,「物と心」と,逆の順番) という二つのカテゴリーに区分(分割)することを人類に受け入れさせてきた。物理学と心理学は,ともにこの二分法(dichotomy)に疑問を投げかけ始めている。物質(もの)は,(ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』に登場する)チェシャ猫のように次第に透明になり,ついには、多分,そこにいまだ存在していると考えている人たちの楽しみに起因している(楽しみをなくさないために)(つまり想像上の)(歯を見せた)ニヤ笑いしか残されていないように思われ始めている。一方,精神(こころ)は,脳外科及び戦争によって与えられた,大脳組織に入り込んだ弾丸の影響を研究する幸運な機会,がもたらした影響の下,次第次第に,ある種の生理学的状況のとるに足らない副産物のようなものに思われるようになってきた。この見方は,私生活が,どのようなものであれすべて,警察の注意にさらされているかも知れないと恐れる人たちを悩ます,内観に対する病的な恐怖によって強められてきている。(注:警察に捕まって,大脳の脳波を調べられたら何を考えているか,また,過去記憶をすべて科学警察に知られてしまうかも知れない,という妄想)このようにして,ハムレットとレアーティーズの決闘の一つを思い出させるような,奇妙に矛盾した境遇(立場)のなかに我々はいるのである。そこにおいては,物理学の研究者(注:みすず書房版の中村訳では,student がなんと「学生」と訳されている!)が観念論者になったが,一方,多くの心理学者たちは唯物主義者になる瀬戸際にいるのである。もちろん,本当のところは,精神も物質も(物も心も)ともに幻想である。物質を研究する物理学者は,この事実(物質は幻想であること)を物質について発見し,精神を研究する心理学者(注:お粗末にも,中村訳では「生理学者」と訳されている!)は,この事実(精神は幻想であること)を精神において発見している。しかし,(物理学者も心理学者も)どちらの研究者も,他の研究主題(注:物理学者にとっては精神,心理学者にとっては物質)については,いくらか確固たるものがあるに違いないと確信し続けている。
私がこのエッセイ(小論)でやりたいことは,精神と大脳との関係を(精神と物質)どちらの存在も含まない(前提としない)言葉で述べなおすことである。

Plato, reinforced by religion, has led mankind to accept the division of the known world into two categories mind and matter. Physics and psychology alike have begun to throw doubt on this dichotomy. It has begun to seem that matter, like the Cheshire Cat, is becoming gradually diaphanous until nothing of it is left but the grin, caused, presumably, by amusement at those who still think it is there. Mind, on the other hand, under the influence of brain surgery and of the fortunate opportunities provided by war for studying the effects of bullets embedded in cerebral tissue, has begun to appear more and more as a trivial by-product of certain kinds of physiological circumstances. This view has been reinforced by the morbid horror of introspection which besets those who fear that a private life, of no matter what kind, may expose them to the attentions of the police. We have thus a curiously paradoxical situation, reminding one of the duel between Hamlet and Laertes, in which students of physics have become idealists, while many psychologists are on the verge of materialism. The truth is, of course, that mind and matter are, alike, illusions. Physicists, who study matter, discover this fact about matter, psychologists, who study mind, discover this fact about mind. But each remains convinced that the other’s subject of study must have some solidity. What I wish to do in this essay is to restate the relations of mind and brain in terms not implying the existence of either.
出典:Bertrand Russell : Mind and Matter (1950?)
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/19501110_Mind-Matter010.HTM

<寸言>
精神も物質も実体のない幻想であろうが、もちろん、個人の人間は、自分が生きている間はそのように思うことはできない。

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