バートランド・ラッセル「精神と物質(心と物)」n.1 (松下彰良・訳)- Bertrand Russell : Mind and Matter (1950年11月?)
プラトンは --宗教によって補強されて-- 既知の世界を精神と物質(注:日本語では,「心と物」ではなく,通常,「物と心」と、逆の順番)という二つのカテゴリーに区分(分割)することを人類に受け入れさせてきた。物理学と心理学は、ともにこの二分法(dichotomy)に疑問を投げかけ始めている。(量子力学によれば)物質は,(ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』に登場する)チェシャ猫のように次第に透明になっていっており、ついには,多分,そこにいまだ存在していると考えている人たちの楽しみに起因している(楽しみをなくさないために)(つまり想像上の)ニヤ笑いしか残されない,と思われ始めている。一方、精神(こころ)は、脳外科及び戦争によって与えられた,大脳組織に入り込んだ弾丸の影響を研究する幸運な機会,がもたらした影響の下、次第次第に,ある種の生理学的状況のとるに足らない副産物のようなものに思われるようになってきた。この見方は、私生活が,どのようなものであれすべて,警察の注意にさらされているかも知れないと恐れる人たちを悩ます、内観に対する病的な恐怖によって強められてきている。(注:警察に捕まって,大脳の脳波を調べられたら何を考えているか、また、過去記憶をすべて科学警察に知られてしまうかも知れない,という妄想) このようにして、ハムレットとレアーティーズの決闘の一つを思い出させるような、奇妙に矛盾した境遇(立場)のなかに我々はいるのである。そこにおいては、物理学の研究者(注:みすず書房版の中村訳では、student がなんと「学生」と訳されている!)が観念論者になったが、一方、多くの心理学者たちは唯物主義者になる瀬戸際にいるのである。もちろん,本当のところは,精神も物質も(物も心も)ともに幻想である。物質を研究する物理学者は、この事実(物質は幻想であること)を物質について発見し、精神を研究する心理学者(注:お粗末にも、中村訳では「生理学者」と訳されている!)は、この事実(精神は幻想であること)を精神において発見している。しかし,(物理学者も心理学者も)どちらの研究者も、他の研究主題(注:物理学者にとっては精神、心理学者にとっては物質)については、いくらか確固たるものがあるに違いないと確信し続けている。私がこのエッセイ(小論)でやりたいことは、精神と大脳との関係を(精神と物質)どちらの存在も含まない(前提としない)言葉で述べなおすことである。 ![]() |
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