知恵も増大しないかぎり,知識の増大は悲しみの増大となる

DOKUSH56 大ざっばにいえば,我々(人類)は,手段についての人間の(優れた)技能・技術と,目的についての人間的愚かさとの競争の真っ只中にいる。(仮に)目的に関する十分な愚かさが与えられているとすれば,その目的を達成するために必要ないかなる技能・技術の増大も,事態を悪化させる。人類はこれまで,無知と無能力の故に生き残ってきた。しかし愚かさと結びついた知識と能力とが与えられると,生き残る確実性はまったくなくなる。知識は力である。しかし,それは善いことへ向かう力であるとともに悪しきことへ向かう力でもある。従って,人間が,知識におけると同様,知恵も増大しないかぎり,知識の増大は悲しみの増大となるであろう。

Broadly speaking, we are in the middle of a race between human skill as to means and human folly as to ends. Given sufficient folly as to ends, every increase in the skill required to achieve them is to the bad. The human race has survived hitherto owing to ignorance and incompetence; but, given knowledge and competence combined with folly, there can be no certainty of survival. Knowledge is power, but it is power for evil just as much as for good. It follows that, unless men increase in wisdom as much as in knowledge, increase of knowledge will be increase of sorrow.
出典: The Impact of Science on Society, 1952, chap.7: Can a scientific society be stable?
詳細情報: http://russell-j.com/cool/43T-0701.HTM

[寸言]
善い目的・目標があればこそ,手段の工夫が生きてくる。しかし,目的・目標に問題があれば,手段の工夫がよりまずい事態を生じさせる。
すぐには達成できない大きな目的を達成するために,より達成しやすい目標をたてる。その際,目標は目的を達成するための手段となる。より難しい目標を達成するためには,より実現しやすい目標を設定する。そのうちに高次な目的は忘れ去られ,小さな目標がいつのまにか目的化され,不適切な手段がとられるようになる。現実主義者の陥る危険がここにある。
原発の再稼働,特定秘密保護法,集団的自衛権・・・。

ラッセル曰く:
政治的指導者たちの大部分は,自分たちは利他的欲求のために行動していると多くの人々を信じ込ませてその地位を得ている。そのような信念も,興奮の影響下では一層容易に受け容れられることはよく理解できる。ブラスバンド,集団祈祷,私刑(リンチ)の執行,そして戦争(注:オリンピックの招致,国会議員団による靖国集団参拝,マスコミによる集団リンチ,仮想敵国による国土侵略の恐怖,その他) と,段階を追って興奮は高まる。不合理を唱道する者たちは,どうやら,大衆を興奮状態においておけば,自分たちに都合のよいように彼らをだますずっと良い機会がでてくる,と思っているようである。 (麻生元総理が推奨したナチスの手口も効果を発揮する。)

「知識は力なり」という名言を残した F.ベーコンの時代と現代では状況がかなり変わってしまった。
現代においても「知識は力」(現代であれば,「情報(データ)は力」「ビックデータは力」など)であることには変わりはないが,人類を滅ぼすこと(それを自滅という)ができるほどの「力」となっている。
宇宙のことがいろいろわかってきて,宇宙に出て行くことが多くなってきても,未知のものは無限大であり,星雲の大爆発に比べれば人間の力はいかに小さいことか。
しかし,普段はそのようなことを考えずに,「核抑止力」があるために大きな戦争が起こっていないなどと,人類が核と共存できると考えてしまっている権力者が少なくない。国民の生命よりも国家の主権の確保(実際は為政者のメンツの確保)のほうがずっと重要だとひそかに考えている政治家がけっこういるようであり・・・。

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