主観主義(主観的な態度や生き方)の古典的な例は、ドン・キホーテである。彼は初めて甲(戦闘用カブト)を作ったとき、打撃に耐える力を試そうとして、それをぺしゃんこにたたきつぶした。二度目のときは、試すことはせずに、大変よい甲(カブト)だと「思い込んだ」。この「思い込む」という習慣は、彼の生涯を支配した。しかし、不愉快な事実を直視することを拒否することは全て、ドンキホーテの場合と同種のものである。
私たちは、多かれ少なかれ、皆,ドン・キホーテである。もしドン・キホーテが本当によい甲を作ることを学校で習っていたならば、また、もし彼が信じたいことを何でもそうだと「思いこむ」ことを拒否する仲間に取り巻かれていたならば、あのようなふるまいはしなかったであろう。
空想の中で生きる習慣は、幼年期においては正常であり、適切である。なぜなら、幼い子供たちは、病的ではない無力感をいだいているからである。しかし、おとなの生活が近づくけば、夢が価値を持つのは遅かれ早かれ実現できる場合に限る、ということをますますはっきりと認識しなければならない。子供(注:boys 若者/ boy は男の子とは限らない。)は、ほかの子供のまったく一人よがりの主張を正すから感心である。学校において、友達の間で,自分の持っている力について幻想を抱くことは難しい。しかし、神話を創りだす能力は、他の方面では相変わらず活発であり、しばしば教師の協力のもとに行われる。曰く、自分の学校は世界で一番良い学校である。自分の祖国は常に正しく、常に勝利を得る。自分の属する階級(子供が裕福な場合)は、他のいかなる階級よりも優っている。こういうのは、全て望ましくない神話である、。それは、実際は誰か他の人の剣がまっぷたつにできるかも知れないのに、私たちを、自分は良い甲を持っていると思い込ませるように導いてしまうのである。このようにして、こういう神話は怠惰を助長し、ついには大きな不幸を招く。
The classic example of subjectivity is Don Quixote. The first time he made a helmet, he tested its capacity for resisting blows, and battered it out of shape ; next time he did not test it, but “deemed” it to be a very good helmet. This habit of “deeming” dominated his life. But every refusal to face unpleasant facts is of the same kind ; we are all Don Quixotes more or less. Don Quixote would not have done as he did if he had been taught at school to make a really good helmet, and if he had been surrounded by companions who refused to “deem” whatever he wished to believe. The habit of living in fancies is normal and right in early childhood, because young children have an impotence which ,is not pathological. But as adult life approaches, there must be a more and more vivid realization that dreams are only valuable in so far as they can be translated, sooner or later, into fact. Boys are admirable in correcting the purely personal claims of other boys ; in a school, it is difficult to cherish illusions as to one’s power in relation to schoolfellows. But the myth-making faculty remains active in other directions, often with the co-operation of the masters. One’s own school is the best in the world; one’s country is always right and always victorious ; one’s social class (if one is rich) is better than any other class. All these are undesirable myths. They lead us to deem that we have a good helmet, when in fact someone else’s sword could cut it in two. In this way they promote laziness and lead ultimately to disaster.
出典:On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 3: Intellectual education, chap.16: Last school years.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE16-070.HTM
<寸言>
自分に都合のよい現実については「現実を直視せよ」というが、自分に都合の悪い現実については「未来志向に立つべきだ」と言って,現実から目をそらす人(特に権力者)が少なくない。「政府は必ず嘘をつく」というタイトルの本があるが、騙されたい(騙されたことにした)国民も少なくない。騙せれるのが嫌なら、自分で情報を収集し、自分の頭で考えようとするだろうが、多数派の意見を知った上で自分も多数派の意見を言う人が少なくない。そういう多数派のことを「浮動層」と言う場合が多いが、その心理は、自分が間違ったとわかった場合でも、多くの人が間違えたんだからと、自分を許しやすいからであろう。