ある種の幸運な人々は,大きな事柄であろうと小さな事柄であろうと,自分が間違っているという感覚をまったく持たない(経験しない)。私はかつてある著名な淑女に向かって,あなたは恥ずかしさを感じたことがあるか尋ねた時のことを覚えている。彼女はその時次のように答えた。
「いいえ,私が少しでもそのように感じるときには,私は自分にこう言います。『あなた(注:自分のこと)は,世界中で最も聡明な国民の中の,最も聡明な階級に属する,最も聡明な家系の中の,最も聡明な一員ではないですか。そのあなたがどうして恥ずかしく感じることがありましょう』」
(訳注:これを言ったのはフェビアン協会のベアトリス・ウェッブであるが,この逸話は,『ラッセル自伝』の第4章「婚約時代」の一節に再度引用されている。)
この返事を聞いて,私は畏敬と羨望を感じた。(注:もちろん,半分皮肉です。)
Some fortunate people never experience the sense of being in the wrong, either in great matters or in small. I remember once asking an eminent lady whether she had ever felt shy. She replied: ‘No. Whenever I have felt any tendency that way, I have said to myself “You are the cleverest member of one of the cleverest families of the cleverest class of the cleverest nation in the world – why should you feel shy ?” ‘ I heard this answer with awe and envy.
出典:Bertrand Russell: On Feeling Ashamed, Nov. 23, 1932. In: Mortals and Others, v.1 (1975)
詳細情報:https://russell-j.com/ASHAMED.HTM
<寸言>
トランプや安倍総理を始め,自信過剰で自分の誤りをほとんど認めようとしない政治家が再び増えてきました。もちろん,それは自信過剰な国民が増えたことの反映であるかも知れません。そういった時代には自国の意志を(自国より軍事力がおとる)他国に押し付けることが少なくなく、弱い国としても(「愛国心」から)反発せざるを得ず、戦争や大きな武力衝突が起こりがちです。