・・・。本質的にエピメニデスの矛盾と同様の矛盾は,「この紙の裏面に述べられていることは誤りである。」と書かれた紙を人に渡すことによって創り出せる。その人が今度はその紙を裏返せば,紙の裏面には,「この紙の裏面(即ちさきほどの表面)に書かれていることは正しい」と書いてあるのを発見する。
大人がそのようなとるに足らないことに時間を費やす価値はないように思われたが,しかしそれなら私は一体何をすればよかったのか。そのような矛盾が通常の(正規の)諸前提から避けられないのであるなら,何かがまちがっていたのである。つまらないものであろうとなかろうと,この問題は(私に対する)1つの挑戦であった。
A contradiction essentially similar to that of Epimenides can be created by giving a person a piece of paper on which is written: ‘The statement on the other side of this paper is false.’ The person turns the paper over, and finds on the other side: ‘The statement on the other side of this paper is true’. It seemed unworthy of a grown man to spend his time on such trivialities, but what was I to do? There was something wrong, since such contradictions were unavoidable on ordinary premisses. Trivial or not, the matter was a challenge.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 6: Principia Mathematica, 1967]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB16-050.HTM
<寸言>
「人生は矛盾に満ちたものだ」という言い方があり,そういったことがわかって人間は大人になることができると’したり顔‘で言うことがある。心理的な矛盾や(論理的でない)ジレンマであればそういった態度もよいであろうが、論理的矛盾はそういうことでは処理できない。論理的矛盾からはいかなるものも(どんな間違ったものでも)導出することができ、論理学そのものや人間の理性が否定されてしまう。
もちろん、人間が飲食し、住まいを確保し、家庭をつくっていくなど、論理学はなくてもひとつの生物として生きていくことは出きるが、人間の理性に価値を見出そうとしている人間にとっては(無視できない)解決すべき大きな問題となる。