私は(自著『権力論』の中で),富よりもむしろ権力(注:政治的権力だけでなく広い意味での権力)が社会理論における基本的な概念であるべきであり,社会正義は,実際に可能な最大限まで権力を平等化することにあると論じた。続いて,もし国家が民主的でないならば,(社会主義国におけるような)土地と資本の国有(化)はまったく前進とは言えず,また国家が仮に民主的であるとしても,役人(官僚)の権力を抑制する方法がとられた時にのみ前進と言える,と主張した。私の主題の一部は,バーナム「経営者革命」(注:Burnham’s Managerial Revolution)の中にとりあげられ,普及した。しかし,それがなければ,この本はむしろ失敗に終わっていたと言ったほうがよいだろう。けれども,私は,もし全体主義の害悪が回避さるべきものとすれば,-特に社会主義政権下においては- 『権力』における私の主張はきわめて重要性を持っている,という考えを今なお抱いている。
I argued that power, rather than wealth, should be the basic concept in social theory, and that social justice should consist in equalization of power to the greatest practicable degree. It followed that State ownership of land and capital was no advance unless the State was democratic, and even then only if methods were devised for curbing the power of officials. A part of my thesis was taken up and popularized in Burnham’s Managerial Revolution, but otherwise the book fell rather flat. I still hold, however, that what it has to say is of very great importance if the evils of totalitarianism are to be avoided, particularly under a Socialist regime.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2 chap. 5: Later Years of Telegraph House, 1968]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB25-060.HTM
<寸言>
資本主義国は、社会主義においては自由がなくて人間を不幸にすると主張し,社会主義国は、資本主義国においては一部の人間だけが富み他の人間をみな貧しくなると主張する。しかし、実際は、資本主義国だけでなく、社会主義国でも貧富の格差は進んでいるとともに、体制にかかわりなく、大国は中小国を支配あるいは搾取しようとする。
ラッセルは早い時期から、体制の問題を問わず、国家間においても、国内においても、権力をできるだけ(関係する組織や関係者相互で)抑制しあえるように平等化する必要があると主張した。
現実は、効率化のために、また科学技術の進展により、より大きな力を国家が行使できるようになり、国家権力は増大し続けている。