遊びには,権力ヘの意志(権力志向)の二つの型が見られる。すなわち,いろんなことのやり方を学ぶことに本質が在る型と,空想にふけることに本質が在る型である。
挫折したおとなが性的な意味合いを持つ白昼夢にふけることがあるように,正常な子供は権力(志向)の意味合いを持つ’まねごと‘にふけるものである。正常な子供は,巨人とか,ライオンとか,列車(のような力強いもの)になりたがる。まねごとによって,彼は恐怖(感)をかきたてようとする。息子に「巨人退治のジャック」の話をしたとき,私は,息子が自分をジャックに見立てるように試みたが,彼は断固としで巨人のほうを選んだのである。母親が「青ひげ」の話をしてやったとき,息子は自分は青ひげだと言い張り,言うことを聞かない妻を罰したのは正当だと考えた(イラスト参照)。
息子の遊びの中には,突然婦人の首をはねるという血なまぐさいものもあった。これはサディズム(人間の加虐性を示すもの)だ,と,フロイト主義者なら言うだろう。しかし,息子は,同様に,小さい男の子たちを食べてしまう巨人の話や,重い荷物をひっばる機関車になることも楽しんでいた。これらの’まねごと’に見られる共通の要素は,性ではなく,権力(志向)であった。
ある日,散歩からの帰りみち,私はまったくの冗談として,ひょっとすると,ティドリーウィンクスさん(Tiddleywinks)という人がわが家を占領して,中に入れてくれないかもしれないよ,と息子に言った。それからというもの,長い間,息子は自分はティドリーウィンクスだと言って玄関の前に立ち,私に向かってよその家へ行くように,と言ったものである。このゲームをするときの息子の喜びようは,際限がないものであり,息子が楽しんでいたのは,明らかに,自分に権力があるかのようなまねをすることであった。
In play, we have two forms of the will to power : the form which consists in learning to do things, and the form which consists in fantasy. Just as the balked adult may indulge in day-dreams that have a sexual significance, so the normal child indulges in pretences that have a power-significance. He likes to be a giant, or a lion, or a train ; in his make-believe, he inspires terror. When I told my boy the story of Jack the Giant-Killer, I tried to make him identify himself with Jack, but he firmly chose the giant. When his mother told him the story of Bluebeard, he insisted on being Bluebeard, and regarded the wife as justly punished for insubordination. In his play, there was a sanguinary outbreak of cutting off ladies’ heads. Sadism, Freudians would say ; but he enjoyed just as much being a giant who ate little boys, or an engine that could pull a heavy load. Power, not sex, was the common element in these pretences. One day, when we were returning from a walk, I told him, as an obvious joke, that perhaps we should find a certain Mr. Tiddliewinks (Tiddleywinks) in possession of our house, and he might refuse to let us in. After that, for a long time, he would stand on the porch being Mr. Tiddliewinks and telling me to go to another house. His delight in this game was unbounded, and obviously the pretence of power was what he enjoyed.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 5: Play and fancy.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE05-030.HTM
[寸言]
大人に比べていかに自分は非力なことか、また、早く大人のようにいろいろできるようになりたいと思う。従って、自分を強者に見立て、強者の真似をしたがる。乱暴なこともする。しかしそれは、人間(子ども)における残酷性(サディズム)の現れではなく、あくまでも、強いもの(大人、ウルトラマン、百獣の王ライオン、その他)になりたいという、生物の子ども共通の願いや衝動であろう。