バートランド・ラッセル『私の哲学の発展』第7章 「数学原理ーその哲学的側面」 n.15


 記述理論はまた、「存在(existence)」の意味についても光を投じた。「ウェイバリーの著者は存在する(実在する)」が意味しているのは、「『x がウェイバリーを書いた」は『xはcである』と常に等値であるという命題関数を真とするような c の値が一つ存在する」,である (訳注:真偽を言えるのはあくまでも変数に値を入れてできあがる個々の命題であり、命題関数自体については真偽を言えない。従って、みすず書房版の次の野田訳は不適切な訳と言える。また、always は equivalent にかかっており、true にはかかっていない!! 「・・・に等値であるという命題函数が、常に真となるなるような、c の一つの値が存在する」を意味する)。 この意味における存在は、一つの記述についてのみ主張しうるのであり、分析すれば、一つの命題関数がその変項の少なくとも一つの値について真であるということの一つの事例であることがわかる。我々は「ウェイバリーの著者は存在する」と言ってよいし、また、「スコットはウェイバリーの著者である」と言ってよいが、「スコットは存在する」というのは悪しき文法である(文法上間違っている)。これは、せいぜい(at best よくても)「『スコット』という名前の人物が存在する」を意味すると解釈可能であるが、「『スコット』という名前の人(人物)」は(一つの)記述であって固有名ではない。固有名が固有名として適切に用いられる時は常に「それ(=固有名で表されるもの)は存在する」ということは文法連反なのである。い  記述理論の中心的な要点は、一つの句は、その句は分離するとまったく意味を持たなくても、一つの文章の意味に寄与するかも知れない(可能性がある)ということである。このことについて、記述の場合においては、正確な証明が存在している。(即ち)もし「ウェイバリーの著者」が「スコット」以外の何ものかを意味するとすれば「スコットはウェイバリーの著者である」(訳注:「スコット」という名前の別人)は偽となるが、これはそうではない。またもし「ウェイバリーの著者」が「スコット」を意味するとすれば、「スコットはウェイバリーの著者である」はトートロジー(訳注:「スコットはスコット」つまり、A = A で常に正しいため=恒真命題)となるが、これもそうではない。それゆえ、「ウェイバリーの著者」は、「スコット」をもまた他の何ものをも意味しない、つまり、「ウェイバリー著者」は何ものも意味しない。証明終り。

Chapter 7: Principia Mathematica: Philosophical Aspects, n.15 The theory also threw light upon what is meant by ‘existence’. ‘The author of Waverley exists’ means ‘there is a value of c for which the propositional function “x wrote Waverley” is always equivalent to “x is c” is true’. Existence in this sense can only be asserted of a description and, when analysed, is found to be a case of a propositional function being true of at least one value of the variable. We can say ‘the author of Waverley exists’ and we can say ‘Scott is the author of Waverley’, but ‘Scott exists’ is bad grammar. It can, at best, be interpreted as meaning, ‘the person named “Scott” exists’, but ‘the person named “Scott” ‘ is a description, not a name. Whenever a name is properly used as a name it is bad grammar to say ‘that exists’. The central point of the theory of descriptions was that a phrase may contribute to the meaning of a sentence without having any meaning at all in isolation. Of this, in the case of descriptions, there is precise proof: If ‘the author of Waverley’ meant anything other than ‘Scott’, ‘Scott is the author of Waverley’ would be false, which it is not. If ‘the author of Waverley’ meant ‘Scott’, ‘Scott is the author of Waverley’ would be a tautology, which it is not. Therefore, ‘the author of Waverley’ means neither ‘Scott’ nor anything else – i.e. ‘the author of Waverley’ means nothing, Q.E.D.  Source: My Philosophical Development, chap. 7:1959.  More info.:https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_07-150.HTM

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