「共著」という形ではない「役割分担」の必要性


 必要なのは分業である。ギボンティユモン(Tillemont 17世紀のイタリアの歴史家) によって利益を得た(助けられた)。それがなければ,恐らく,彼は存命中に自分の仕事を達成できなかったであろう。考古学者や,未発表の手稿資料を詮索する人は,大規模な歴史(書)の著述をする時間や精力はなさそうである(ないのが普通である)。大規模な歴史(書)の執筆を企てる人に,鋤で土を掘る仕事(農地整備)を期待すべきではない。科学(自然科学)においては,このことは認識(理解)されている。(たとえば)ケプラーの法則は,ティコ・ブラーエの観察に基づいていた。クラーク・マクスウェルの理論は,ファラデーの実験によっていた(基づいていた)。アインシュタインは彼の理論(学説)が基礎としている観察を自分自身でやってみることはなかった。大雑把に言って,事実を大量に集めることとそれを消化することとは,別のことである。事実の数が膨大で複雑な場合には,一人の人間が両方(収集と消化)をすることはほとんど不可能である。たとえば,ギリシアの古典文明に与えたミノス文明(Minoan civilization)の影響を知りたいと思ったとしよう。ミノス文明の事実を確認する困難な仕事に従事してきた人に,最もバランスのとれた,あるいは最も学識のある意見を期待することは,ほとんどできないであろう。同様なことが,それほど難しくない問題,たとえばプルタークのフランス革命への影響(の問題)にも当てはまるであろう。

What is needed is division of labor. Gibbon profited by Tillemont, and probably could not otherwise have achieved his work in a lifetime. The archaeologist or the man who delves in unpublished manuscript material is likely to have neither the time nor the energy for large-scale history. The man who proposes to write large-scale history should not be expected himself to do the spade work. In the sciences, this sort of thing is recognized. Kepler’s laws were based upon the observations of Tycho Brahe. Clerk Maxwell’s theories rested upon the experiments of Faraday. Einstein did not himself make the observations upon which his doctrines are based. Broadly speaking the amassing of facts is one thing, and the digesting of them is another. Where the facts are numerous and complex, it is scarcely possible for one man to do both. Suppose, for example, you wish to know the effect of the Minoan civilization on the classical civilization of Greece. You will hardly expect the most balanced or the best informed opinion from a man who has been engaged in the very difficult work of ascertaining Minoan facts. The same sort of thing applies to less recondite problems, say, for example, the influence of Plutarch on the French Revolution.
出典:History as an art (1954)
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/1057_HasA-140.HTM

<寸言>
「必要なのは分業」というのを「共著で執筆」と捉えてはならない。史実と思われる(史実と言われている)事柄の全てについて、執筆者が一つ一つ実際に確かめていたら執筆などという仕事はできない。ここは信頼できる多くの情報源に頼り,それらをもとに「歴史を組み立てて」いったほうがよい。そうして、不確かだと判明した時点で、(過去の)「史実」は捨て、再構成する作業を繰り返す必要がある。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です