情熱的な愛(恋愛)に正当な位置をあたえること(の重要性)


rikonritu_nenreibetu 幸福な,相互的な愛という,深い親密さと強い交わりを経験したことのない人びとは,人生が提供する最上のものを失ったことになる。彼らは,意識的ではないにせよ,無意識的にこのことを感じており,その結果生じる失望のために,ねたみや抑圧や残虐に傾いていく。したがって,情熱的な愛に正当な位置をあたえることは,社会学者にかかわる問題であるはずである。なぜなら,男性も女性も,もしもこの経験の機会を逃すとすれば,完全な精神的成長をとげることはできず,世界のほかの人びとに対して,寛容で温かい気持ちをいだくこともできないからである。この気持ちがなければ,まずまちがいなく,彼らの社会活動は有害なものになる。

Those who have never known the deep intimacy and the intense companionship of happy mutual love have missed the best thing that life has to give; unconsciously, if not consciously, they feel this, and the resulting disappointment inclines them towards envy, oppression and cruelty. To give due place to passionate love should be therefore a matter which concerns the sociologist, since, if they miss this experience, men and women cannot attain their full stature, and cannot feel towards the rest of the world that kind of generous warmth without which their social activities are pretty sure to be harmful.
出典: Marriage and Morals, 1929, chap.9: The Place of Love in Human Life.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/MM09-050.HTM

<寸言>
同様の趣旨のことを,ラッセル『幸福論』第12章「愛情」で次のように述べています。

相互的な愛情が開花することに対する’心理的・社会的な障害‘は,重大な害悪であり,それによって,世界はいつも苦しんできたし,いまなお苦しんでいる。人びとは,与える相手を間違うかもしれないという恐れから,なかなか相手をほめようとはしない。また,人びとは,愛情を注ぐ人(=対象・相手)によって,またはケチをつけたがる世間によって,苦しめられるかもしれないという恐れから,なかなか愛情を注ごうとしない。道徳の名において,また世俗的な知恵の名において,用心(深くあること)を強いられる。その結果,愛情が関わるところでは,寛大さも冒険心も,水を差される。これら全ては,人類に対する’臆病さと憤りを生じさせやすい。なぜなら,(それらの心理的・社会的障害によって)多くの人びとは,真に根本的に必要なものを生涯捕らえ損なうとともに,十中八九まで,幸福になるために不可欠な条件や世間に対する包容力のある態度を捕らえ損なう(逸してしまう)ことになるからである。・・・。おのおのが自分の心をさらけ出すまいと努めている。おのおのが根本的な孤独を保ち続けている。おのおのが無傷のままでいるゆえに(傷つかないようにしているため),実を結ばない。・・・。
http://russell-j.com/beginner/HA23-090.HTM

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