我が子(子ども)が「死」の問題について質問してきたら・・・


yurikago_kara_hakaba_made これに関連して,難しくて,取り扱うのにかなりのコツが必要な問題がいくつかある。一番難しいのは死の問題である。
子供は,やがて,植物や動物が死ぬことを発見する。子供が6歳にならないうちに,子供の知っている誰かが死ぬだろうということも,死の問題を知る機会である。いやしくも利発な子供ならば,いつか両親も死ぬだろうし,自分自身もまた死ぬだろうということ -(自分の死はより想像するのが難しいことであるが- を思いつく(はずである)。こういった思いは,多くの疑問を生み出すだろうが,それには慎重に答えてあげなけらばならない。
正統的な信仰を持っている人は,死後の生命など決して存在しないと考える人よりも,困難を感じないで済むだろう。もしも,あなたが後者の見解を抱いているならば,その見解に反するようなことを言ってはならない。どう考えてみても,親が自分の子供に嘘をつくことを正当化するものはない。
死は目覚めることのない眠りである,と説明するのが一番よい。このことは,まじめくさった顔をせずに,ごくあたりまえに想像できることであるかのごとく話すべきである。もしも,子供が自分の死について思い悩むようであれば,死ぬのはまだ遠い遠い先まで起こりそうにない,と言ってあげるのがよい。
幼いころに,死をストイック(冷静かつ禁欲的に)に軽く見る態度を教えこもうと試みても,無駄であろう。死の話題は(親から)持ち出してはいけないが,子供のほうから持ち出したときには避けてはならない。死には神秘的なものは何もないと子供に感じさせるように,力を尽くすのがよい。子どもが正常で健康ならば,死についてくよくよ考えこませないようにするには,この方法で十分であろう。
発育のどの段階においても,進んで,十分かつ率直に話し,自分の信じるところを全て語り,死の話題はあまり面白いものではないという印象を植えつけるのがよい(植え付けよう)。老人であれ,若者であれ,死の問題について,多くの時間を消費するのはよくない。

heaven-or-hell_escalatorSome problems, in this connection, are difficult, and require much tact. The most difficult is death. The child soon discovers that plants and animals die. The chances are that somebody he knows will die before he is six years old. If he has at all an active mind, it occurs to him that his parents will die, and even that he will die himself. (This is more difficult to imagine.) These thoughts will produce a crop of questions, which must be answered carefully. A person whose beliefs are orthodox will have less difficulty than a person who thinks that there is no life after death. If you hold the latter view, do not say anything contrary to it ; no consideration on earth justifies a parent in telling lies to his child. It is best to explain that death is a sleep from which people do not wake. This should be said without solemnity, as if it were the most ordinary thing imaginable. If the child worries about dying himself, tell him it is not likely to happen for many, many years. It would be useless, in early years, to attempt to instil a stoic contempt for death. Do not introduce the topic, but do not avoid it when the child introduces it. Do all you can to make the child feel that there is no mystery about it. If he is a normal, healthy child, these methods will suffice to keep him from brooding. At all stages, be willing to talk fully and frankly, to tell all that you believe, and to convey the impression that the subject is rather uninteresting. It lis not good either for old or young to spend much time in thinking about death.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 4: Fear.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE04-130.HTM

[寸言]
「死の恐怖」に苛まれ、それが原因で病気になったり、寿命が大幅に縮まってしまうなんてことは、愚かな対応の仕方。だからといって、迷信や嘘を必須とするような宗教に走るのも、知性を持った人間としてはなさけない。

ohkawa-getemno いや、人間の死の問題については、知性ではでなく、心(感性)のほうが重要(心の持ち方が大切)というのが宗教の誘い文句個人として宗教に安心立命をたくすのはいけないとは言えないだろうが、それを他人に対してあたかも「信仰は必須(無神論者は地獄に落ちる!)」などと言うようになったら大きな害を社会に及ぼすようになる。

宗教にはいろいろあり、大きな宗教(キリスト教、イスラム教、仏教などの世界宗教)には無数と言ってよいほどの宗派があり,いがみあっている。そうして、自分が信じる宗教を信じる人(狂信的な人)は「天国」にいけるが、自分がよくないと思っている宗教を信じる人は「地獄」に落ちると言ったりする。

子どもがいる人は自分の子どもや孫が自分が死んだ後も生き続けるので自分は死んでも自分の分身が生き続けていくと考えれば、自分が死ぬことによってすべてが終わると考えなくてすむ。子どもがない人の場合は、兄弟姉妹の子どもを自分の分身と考えてもよいし、あるいは、人によっては、人類が地球上に生命が誕生してから人間にまで発達した壮大な生命史を考えることによって、なぐさめられる(心の平安を持てる)かも知れない。
いずれにしても、死ねば「天国にいける」なんて(自分が思い込むのは勝手であるが)他人に対して言うことは「出すぎた発言(余計なお世話)」であろう。

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