ラッセルに対する中傷 -議論で勝てないので、デマを流したり・・・


b_russell_calicature このほかにも,「老齢による無分別(もうろくによる愚かさ)」に関係があると考えられるので,ここで言及してよいと思われる’私に対する批判’が4つある。それらのなかで最もひどいのは,私が著作や演説で出典(や情報源)を明らかにしないで’極端な主張’をしているという批判である。こうした非難は,私の著書『ヴェトナムにおける戦争犯罪』(War Crimes in Vietnam, 1967)に狙いを定めたものだと私は信じている。けれども,もし誰かがこの本に関心を持って調査すれば,この本は典拠や引用などでよく証拠付けられているということがわかるだろう,と私は考える。もし,時に,論拠を与えずに私が論述をしている場合は,通常は,それは自明のことであるか,その本の中のどこかで記述している事実に基づいているものであるか,あるいは情報源をあげる必要がまったくないほどよく知れわたっていることであると私が見なしているか,そのいずれかの理由からそうするのである。
b_russell-caricature02 これに似たもう一つの批判は,私の名がつけられている演説や論文や声明は私自身が書いたものではないというものである。奇妙なことであるが,ほとんど全ての政府の役人や重要な企業の経営幹部による公けの発言(内容)が,その秘書や他の同僚によって作成されているということは一般に知られていることである。しかもそれがあたりまえのことと思われているのである。その同じことが,一般の俗人にあってはどうして’憎むべきこと’と考えられなければならないだろうか。事実を言えば,私の名前を付しているものは通常は(ほとんど全てと言ってよいほど)私自身が書いているものである。私が書いたものでなくとも,私の意見や思想を表わしているものはある。手紙あるいはより公式の文書も,私が自分で議論したり,読んだり,承認したりしなかったものにはまったく署名をしていない。

There are four other charges brought against me which I might mention here since I suppose they are connected, also, with ‘The folly of age‘. The most serious is that I make extreme statements in my writings and speeches for which I do not give my sources. This is levelled, I believe, against my book War Crimes in Vietnam. If anyone cares to study this book, however, I think that they will find it well documented. If I occasionally make a statement without giving the basis of it, I usually do so because I regard it as self-evident or based upon facts noted elsewhere in the book or so well known that there is no need to name the source.
Another charge, allied to this one, is that I myself compose neither speeches nor articles nor statements put out over my name. It is a curious thing that the public utterances of almost all Government officials and important business executives are known to be composed by secretaries or colleagues, and yet this is held unobjectionable. Why should it be considered heinous in an ordinary layman ? In point of fact, what goes out over my name is usually composed by me. When it is not, it still presents my opinion and thought. I sign nothing – letters or more formal documents – that I have not discussed, read and approved.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3:1944-1969 ,chap4:The Foundation,(1969)
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB34-170.HTM

[寸言]
nihonkaigi_ukeika 不都合な事実を指摘され、議論で勝てないと悟ると、(批判する)相手についてのデマを流したり、イメージを下げるためにいろいろな手を尽くす。まるで、どこかの国の保守政権のよう。
くなる2日前(19701.31)に書いたパレスチナ問題に関する(カイロ会議への)メッセージを読めばわかるように、ラッセルは,97歳7ケ月(数えで98歳)で死ぬまで頭脳は明晰そのものであった。
しかし、晩年のラッセルの言動を知らない人は、「ラッセルは年をとって耄碌(もうろく)してしまった」とか「支援者の言いなりになっている」とか,悪意のある記事がでると、確かめようとしないで、信じてしまう人も少なくない。

ラッセルは、 War Crimes in Vietnam (1967)(『ヴェトナムの戦争犯罪』)を執筆するにあたり、New York Times など、できるだけアメリカの新聞にのった記事をもと(証拠)にして書いている。ただ率直に事実だけを伝えるだけの小さな記事も丹念に拾っている。
そう、他国の新聞やヴェトナム戦争を批判する新聞・雑誌等からの引用であれば、米国側は,その記事は誤報だとか、偏向だとか言って無視すればよいかも知れないが、米国のヴェトナム介入を支持していた新聞の記事に書かれたことを「論理でつないで」いったものは、否定することはとても難しい。政治家と違い、ジャーナリストであれば、痛いところをつかれたならば、簡単に無視できないはずである。

ただし、政治家に対しては効果はないかも知れない。たとえば、民主党が政権をとっていた時には、自民党は「TPP絶対反対!」と言っていたにもかかわらず、政権を取り戻すと、「TPP推進(によって日本復興!」と180度「方針を変更」しても、「情勢が大幅に変化したため」という説明しかしなくても、「良心が傷まない」のだから。いや、「良心なんてもともとない(なかった)」のかも知れないが・・・。

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