(老体に鞭打ち)核兵器撤廃運動に熱心に取り組むラッセル夫妻

DOKUSH60 私たち(夫婦)は二人とも、核兵器の危険について、可能な限り多くの方法で一般大衆の注意を喚起するようにしなければならないということ、また、たとえどれほど称賛に価することであろうとも、★我々が単なる集会や単調な平和行進だけにとどまるならば、既に核兵器反対に立っている人々に対して説教するだけに終わってしまう★だろう、ということを確信していた。CND(Campaign for Nuclear Disarmament)の議長(委員長/ラッセルはCND総裁は、市民的不服従運動(Civil Disobedience:政府の核政策に対する一般市民の不服従運動/イラスト参照)に賛同していなかった。それで、名目上は直接行動委員会(Direct Action Committee)はその活動を黙認されていたけれども、CNDから公然と支援を受けることができなかった。例えば、オルダーマストン平和行進にCNDは参加しなかった。というのは、その平和行進は直接行動委員会によって1958年に企てられたものだからである。平和行進は成功した。そこでCNDは、当然のこと、その翌年、その一切合切をひき継ぎ、その行進をさらにより大きなものにし、より重要なものにした。(つまり、成功して世間の支持を集めてから始めて動き出す 日和見主義的対応?)

BR1958CYWe both believed that the dangers must be called to the attention of the public in as many ways as possible and that if we stuck to merely meetings and even marches, no matter how admirable they might be, we should end by preaching only to the already converted. The chairman of the CND did not approve of civil disobedience and so, though nominally the Direct Action Committee was to be tolerated, it could not be aided openly by the CND. The latter did not, for instance, take part in the Aldermaston March, as it was staged by the Direct Action Committee in 1958. The march proved a success, and the CND took it over lock, stock and barrel the following year and made, of course, a much larger and more important thing of it.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3:1944-1969 (1969)
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB33-040.HTM

[寸言]
1954年3月1日、アメリカはビキニ環礁において初めての水爆実験を行った。
ラッセルは危機感を覚え、アインシュタインに働きかけ、1955年7月9日ラッセル=アインシュタイン声明を発表した(アインシュタインは4月18日にすでに亡くなっていたが、死ぬ2週間ほど前に声明に署名していた)。
PUGWASH また、ラッセル=アインシュタイン声明で提唱された,核と平和の問題について科学者たちが集まって検討するパグウォッシュ会議(第一回会議)が,サイラス・イートン(上の写真参照)の支援を受けて、1957年にカナダのパグウォッシュ村(注:赤毛のアンで有名なプリンス・エドワード島の近く/上の地図参照)で開催された。
このように、科学者による検討は始まったものの、政治や軍事の世界では、核兵器の開発や配備は進むばかりであり、諸国政府に影響を与えない限り、お題目を唱えるだけで終わってしまう。ラッセルは,核兵器反対の大衆運動の必要性を痛感し、CND(Campaign for Nuclear Disarmament 核兵器撤廃運動/市民的不服従運動)を始め(総裁に選ばれる)、しばらくして、その限界を感じ、精鋭だけを集めて百人委員会(Committee of 100)を結成し(ラッセルは総裁)より先鋭的な運動の駆り立てられていくことになる。
peace なお、世界的に知られている「平和のシンボルマーク」(右のイラスト)は、ラッセルが始めたCNDで初めて使われたものである。

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