悪者とは幸福が何にあるかを知らない不器用な人間だと教え・・・

chimimouryo_gosei 不親切や残酷さの実例が子供の目にとまった場合は,おとな自身がその出来事を道徳的にどう評価するかを話すとともに,残酷なふるまいをした人はおろかであり育てられ方が悪かったからそういう思慮のないことをしたのだと常に示唆しつつ,十分に話しあわなければならない。
しかし,子供が歴史や物語(お話)の中で不親切や残酷さの事例をよく知るようになるまでは,子供が自然に(自発的)に目撃したのでない限り,私は,現実世界の中にあるそういう事例に子供の注意を喚起するようなことはしたくない。
そのあとで(歴史や物語の中で不親切や残酷さの事例をよく知った後で)子供の身の回りの環境の中にある悪について,徐々に教えていきたい。しかし,そうした悪は,戦うことができるし,無知と自制の欠如と悪い教育から生じるのだという感情を常に子供に植えつけたい私は,子供が悪者(悪人)に対して憤慨するように仕向けるのではなく,むしろ,悪者は幸福が何にあるかを知らない不器用な人間だ,と考えるように仕向けたい。

If any actual instance of unkindness or cruelty comes under the child’s notice it should be fully discussed, with all the moral values which the adult himself attaches to the incident, and always with the suggestion that the people who acted cruelly were foolish, and did not know any better because they had not been well brought up. But I should not call the child’s attention to such things in his real world, if they were not spontaneously observed by him, until after he had grown familiar with them in history and stories. Then I should gradually introduce him to a knowledge of evil in his surroundings. But I should always give him the feeling that the evil can be combated, and results from ignorance and lack of self-control and bad education. I should not encourage him to be indignant with malefactors, but rather to regard them as bunglers, who do not know in what happiness consists.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 11: Affection and Sympathy
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE11-160.HTM

[寸言] ・
abe_rekisi-netuzo_self-deception 教育や躾は子供の心身の成長にあわせて行われなければならない。親や教師がこれは正しいことだからと子供の成長の度合いを考慮しないで「教え込む」ようなことをしてはいけない。
また、「この世の悪は、無知と自制の欠如と悪い教育から生まれる」ということを教えるほうがよく、悪者をこらしめる必要があるとか、憎むべきだといった感情を生み出すことを目指して行われてはならない。

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