親が言行一致で思いやりがあれば子どもも自然にそうなる。他方・・・

nipponkaigi_abenaikaku-members 子供に抽象的な道徳教育を与えることは,愚かなことであり,時間の浪費である。即ち、(道徳教育は)すべて具体的で,現実の状況から実際に必要とされるものでなければならない。大人の見地からすると道徳的であることも,多くは,子供にとっては,のこぎりの使い方を教わるのとまったく同じように感じられる。子供は,いま物事の処理の仕方を教わっているのだと感じるのである。これが,お手本が非常に重要である理由の一つである。大工の仕事を見ていた子供は,大工の動作(所作)をまねようとする。両親がいつも親切かつ思いやりのあるふるまいをしているのを見ている子供は,そういう点で親をまねようとする。どちらの場合も,子供は,まねようとするものに対し威信を認めている。もしも,しかつめらしくわが子にのこぎりの使い方を教えたとしても,あなた自身はいつものこぎりを斧(おの)として使おうとしているのであれば,あなたは彼を大工にすることは決してできないであろう。また,わが子に向かって妹に親切にしなさいといくら勧めたとしても,自分自身は彼女に親切にしてやっていないのであれば,あなたの教育はすべて無駄になるだろう。

It is a folly and a waste of time to give abstract moral instruction to a child ; everything must be concrete, and actually demanded by the existing situation. Much that, from an adult point of view, is moral education, feels to the child just like instruction in handling a saw. The child feels that he is being shown how the thing is done. That is one reason why example is so important. A child who has watched a carpenter at work tries to copy his movements ; a child who has seen his parents behaving always with kindness and consideration tries to copy them in this respect. In each case prestige is attached to what he wants to imitate. If you gave your child a solemn lesson in the use of a saw, but yourself always tried to use it as a chopper, you would never make a carpenter of him. And if you urge him to be kind to his little sister, but are not kind to her yourself, all your instruction will be wasted.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 10: Importance of Other Children
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/OE10-040.HTM

[寸言]
chimimouryo_gosei 道徳や愛国心や公共心(国益など)を説く人間(特に政治家や愛国的な評論家など)には、皮肉なことに「不道徳」な人間が多い。口では道徳的なことを言っても、行動においては、ひとりよがりで「不道徳」な人間が少なくない。いや、「不道徳」というより、「偽善者」といったほうがよい人も少なくない。たとえば、◯◯◯◯や△△△△や・・・。

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