 (私の90歳の誕生日の)翌日(1962.5.19)の午後、(ロンドンの)ロイヤル・フェスティヴァル・ホールで、支配人 T.E.ビーンの思いやりのある後援のもと、祝賀パーテイが催されたが、それについて何をどういったらよいかわからない。
 (私の90歳の誕生日の)翌日(1962.5.19)の午後、(ロンドンの)ロイヤル・フェスティヴァル・ホールで、支配人 T.E.ビーンの思いやりのある後援のもと、祝賀パーテイが催されたが、それについて何をどういったらよいかわからない。
【参考:岩松繁俊「ある誕生日」
https://russell-j.com/cool/BR-BIRTH.HTM 】
(祝賀パーティのなかで)私のために記念コンサートが催され、いろいろなプレゼンテーションがあるということは聞かされていたが、コンサートがあれほど素晴らしいものになろうとは事前に知ることはできなかった。コリン・デイヴィス指揮のオーケストラの演奏も、リリー・クラウスの(ピアノ)独奏も、とても素晴らしいものであった。・・・。
 Of the celebration party at Festival Hall, under the kind aegis of its manager, T. E. Bean, that took place the next afternoon, I do not know what to say or how to say it. I had been told that there would be music and presentations to me, but I could not know beforehand how lovely the music would be, either the orchestral part under Colin Davis or the solo work by Lili Kraus.
Of the celebration party at Festival Hall, under the kind aegis of its manager, T. E. Bean, that took place the next afternoon, I do not know what to say or how to say it. I had been told that there would be music and presentations to me, but I could not know beforehand how lovely the music would be, either the orchestral part under Colin Davis or the solo work by Lili Kraus.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3:1944-1969 ,chap3:Trafalgar Square,(1969)
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/AB33-350.HTM
[寸言]
1962年5月19日(土曜日)午後三時、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールにおいて、ラッセルの90歳の誕生日を祝うコンサートが開催された。演奏するのはロンドン・シンフォニー・オーケストラ、指揮棒をふるのは(当時)新進のコーリン・デーヴィス(Sir Colin Rex Davis, 1927-2013)、さらにオーケストラと協演するのは、女流ピアニスト、リリー・クラウスであった。
因みに、このコンサートで演奏された「誕生日を祝う小品」は著名な作曲家であるストラビンスキーによってこの日のために作曲されたものである。
ラッセルは言葉がでないのではないかと思うほど深く感動。そうして、どうにか、次のような感謝の言葉を出席者に捧げた。
 「友人の皆さん!
「友人の皆さん!
今ここで何と申し上げたらいいか,ほとんど思い浮かびません。感動で何も言えません。 また,その感動は深いものであり,何か表現したいという気持ちよりも勝っています。(写真:1951年、オーストラリアの動物園にて。ラッセルはコアラに似ていると言われたので、さてどんなものかとまじまじ見つめ・・・。)
私は,この祝賀会を開催するために尽力された方々に心から感謝の念を捧げなければなりません。喜びに満ちた,非常に美しい音楽を絶妙に演奏してくださった演奏家の皆さん,私の友人シェーンマン氏のように目だたないところで働いてくださった方々,それから私に贈物を下さった全ての方々に対し,心から感謝を捧げます。贈物はそれ自体高価なものでありますとともに,この危険な世界に対する不滅の希望を表わしています。
私は非常に単純な信条の持ち主です。それは何かといいますと,生命と喜びと美は,ほこりっぽい死よりもずっとよいものだということです。また,本日ここで私たちが聴いたような音楽に耳をかたむけている時,そのような音楽を作曲し演奏できるということ,そしてまたそのような音楽を聴くことができるということは,守り続ける価値があると感じなければならないとともに,愚かな’言い争い’で放り出すべきではないと考えます。
単純な信条だと言われるかもしれませんが,すべて大切なことは実にしごく単純なものであると,私は考えます。私は,その信条は十分なものであるということを発見しました。そして,本日ご出席の非常に多くの方々もまた,その信条は十分なものであると悟っておられると思います。もしそう考えておられないのであれば,今日ここにおいでになられなかっただろうと思います。
しかし,程度はいろいろですが,私が迫害や汚名や罵りを招く道筋(コース)をこれまで通ってきたことを考える時,それに代わって,今日のように歓迎されるということはどんなに困難なことであるか(夢のようであるか)ということだけ,今申し上げたいと思います。
私は今かなり’つつましやかな気持ち’になっています。このような機会を与えてくださった皆さんのお気持に恥じない生き方をするよう努力しなければならないと思っています。今後そうしたいと思います。心の底から皆さんに感謝申し上げます。」
