岩松繁俊(著)『20世紀の良心-バートランド・ラッセルの思想と行動』への「プロローグ」
* 出典:岩松繁俊(著)『20世紀の良心-バートランド・ラッセルの思想と行動』(理論社,1968年7月刊。342pp. 20cm. 四六判 理論セミナーn.316/箱入)*岩松繁俊氏略歴
*岩松氏は執筆当時、長崎大学助教授
プロローグ 1.ある誕生日 ★(参考)90歳を祝うコンサート
1962年5月18日(注:ラッセルは『自伝』でコンサートは自分の誕生日の翌日に行われたと言っている。従って、岩松氏の勘違いであり、正しくは、5月19日開催)午後三時、ロイヤル・フェスティヴァル・ホール(右下地図)で、音楽会が開催された。演奏するのはロンドン・シンフォニー・オーケストラ、タクトをふるのは新進のコーリン・デーヴィス(Sir Colin Rex Davis, 1927年9月25日-2013年4月14日)、さらにオーケストラと協演するのは、女流ピアニスト、リリー・クラウス (1905-86:右画像)である。曲目・・・
まず、ストラヴィンスキーがこの日のために作曲した「誕生日を祝う小品」で幕があいた。これでわかるように、この音楽会はだれかの誕生日を祝賀するためのものであった。そのだれかとは――それこそ、これから本書でとりあげようとするバートランド・ラッセルそのひとにほかならない。
では、ラッセルはこのとき何回目の誕生日をむかえたのであろうか。
バートランド・ラッセルは、1872年5月18日午後5時45分、イングランド南西部をながれるワイ川のほとりの家で呱々(ここ)の声をあげた。したがって、この音楽会は、かれが90回目の誕生日をむかえた翌日にひらかれたのである。
プログラムはストラヴィンスキーの交響曲ハ長調、モーツァルトのピアノ協奏曲二短調へとすすみ、最後にモーツァルトの交響曲変ホ長調第39番でおわった。(なお、ラッセルはクラシック音楽を愛している。かれが愛好する作曲家にはバッハやモーツァルトがあるが、なかでももっとも愛する音楽家はモンテヴェルディである。)
これは、ラッセルの若い友人たちやこころからかれを尊敬してやまぬ傾倒者たちが、ラッセルにたいするふかい尊敬と愛情のしるしとして、企画し開催したものである。そしてこの音楽会の演奏者自身が、ラッセルにたいする讃仰者なのであった。ピアノのリリー・クラウスは、わが国にも4回来て、すでに日本の音楽愛好者にとってなじみふかいひとであるが、彼女もラッセルヘの傾倒者である。指揮者のコーリン・デーヴィスも、すでにわが国に来てそのタクトのさえをみとめられたひとであるが、かれもまたラッセルをふかく尊敬しているひとである。
この日の音楽会は、したがって、ラッセルを尊敬し愛し支持してやまぬひとびとがかなでた、文字通りのうるわしい、「こころの交響楽」であったといっていいであろう。
音楽会だけではなかった。90歳をむかえたラッセルの今後ますます旺盛な活躍を祈って、ひとびとは献本をつくり、ラッセルに贈った。この献本の表紙には、一面にラッセルの写真が大写しで複写され、他には何らの文字も符号もない。裏表紙は白紙。
献本の第1頁には、敬愛の念あふれる、つぎのような献呈の辞がしるされている。
「百歳まで生きてくださいこの言葉は、ラッセルの仕事を尊敬し、かれがいつまでもその仕事を継続し発展させて、人類にたいしいつまでも希望と勇気をあたえつづけてくれることを念願してやまないひとびとが、異口同音に心底から発する献呈の言葉といっても、けっして誇張ではないであろう。さらに、この献本の後半におさめられている世界中のラッセルの友人、知人、あるいは讃仰者75名の祝いの言葉は、ラッセルがいかに多くのひとびとから尊敬され信頼され愛慕されてきたかを如実にしめしている。いま、ここに、幾人かのひとたちの祝辞を引用して、かれらのラッセルによせる感情のあたたかさをうかがってみよう。
バートランド・ラッセルに捧げる言葉」
いまは亡き名ヴァイオリニスト、ミッシャ・エルマンはのべている。
「あなたの旧友のひとりとして、わたしにも、あなたの無数の支持者、崇拝者および友人といっしょに、あなたの90歳の誕生日を祝福させてください。あなたが人間のこころを鼓舞するためにつくされた貢献は、世界中のひとがみとめています。あなたは、偉大なものは時間を超越している、ということをしめす生きた証人です。あなたの感化はいつまでも滅びないでしょう。人間が自由で平和に生きられるよい世界をつくりだそうとあなたは疲れを知らぬお仕事をつづけておられますが、そのお仕事があなたの在世中に完成するように祈ります。1921年に、東洋から帰国する船のうえで、あなたとおめにかかって、しばらくのあいだともにすごした日々を、いつも誇りをもっておもいだしています。もう久しくおめにかかりませんが、わたしの愛情とふかい尊敬の念はけっしてかわりません。」亡くなったインドの政治家ジャワーハラール・ネールは、つぎのようにのべている。
「50年まえの大学時代以来、わたしはかれ〔ラッセル〕を尊敬してきました。もっともわたしがかれに接したのは書物を通してだけでしたが。そのころからずっと、かれは見たとおりの真実をあくまでも主張し、個人的配慮をまじえることを許しませんでした。そのようなひとはいつの時代でも稀です。冷たい戦争の騒音が多くのひとの声をかき消し、冷静で論理的な思考をさまたげている現代においては、とくにそうです。バートランド・ラッセルが長寿をたもち、正義となかんずく平和のために、ちからづよい声をいつまでも発しつづけられることを希望します。」軍縮問題の権威者でノーベル平和賞を受賞し、わが国を訪れたこともあるフィリップ・ノエルベーカーは、つぎのようにのべている。
「全世界は、バートランド・ラッセルがわれわれの世紀の偉大な人物のひとりであることを知っています。もしも世界が核戦争からすくわれることがあるとすれば、そのときにはラッセルが英雄的に世論を指導したためにその偉大な成果をかちとったのだということになるでしょう。90歳の誕生日にあたり、かれの友人たちは称讃の念をもって過去をふりかえると同時に、感謝と期待の念をもって未来をみつめることでありましょう。」パグウォッシュ会議の事務局長としてラッセルの活動を地道に支援してきだ物理学者ジョセフ・ロトブラットは、人類の危機を論じ、それにたいする科学者の責任を論じたあとで、ラッセルの活動を称讃する。
「あなたは科学者にたいして、その新しい責任を、他のだれよりも熱心に警告してこられました。原子爆弾がこの世に出現してまもなく、あなたは原子時代における生きかたを見いだすために、東西の科学者が会合すべきだと主張されました。1955年に、あなたは感動的な宣言(ラッセル=アインシュタイン宣言)を発表され、そのなかで、もしもう1度(世界)戦争がおこれば、全世界は破滅すると警告し、国際理解を実現する方法について討論するために科学者会議を召集するとのべられました。あなたは、それにつづいて、科学の進歩が社会と政治にどのような影響をおよぼすかについて考察するための科学者会議をはじめて組織されました。こうしてあなたはパグウォッシュ運動をはじめられ、科学と科学的方法とを安定した平和な世界を確立するために使用しようとねがう最高級の科学者たちを全世界から招集されたのです。あなたが議長をしておられるパグウォッシュ会議は、いまでは、平和思想と平和追求の努力にかんする東西間の重要な連絡手段としてみとめられています。あくまでも客観性をまもり、科学的な完全性を維持しつづけたために、パグウォッシュ運動は科学者からも各国政府からも最大の尊敬をかちえることができました。パグウォッシュ会議は、すでに、緊張の緩和と国家問の友情や善意の創造とに重要な貢献をいたしました。すでに世を去った'アフリカの聖者'アルベルト・シュヴァイツァーは、そのあたたかい祝辞の末尾に、つぎのように書いている。
あなたの90回目の誕生日に。ごあいさつをおくるにあたり、あなたのご指導と激励とにたいし、科学者たちがひとしくいだいているふかい感謝の念をおつたえし、さらに、今後も久しくわれわれを指導し、われわれのかんがえや活動を鼓舞してくださるようにと切に希望してやみません。」
「・・・。何千人ものひとびとが、この日、遠くから、あなたに無言のあいさつをおくっていることでしょう。わたしの以上の文章が、あなたにたいしてわたしがこころのなかでいかに尊敬し、感動し、感謝しているかをいくらかでもおつたえできれば幸いです。わたしたちのために、まだ何年も生きてください。わたしたちはあなたが必要なのです。」以上、わたしは、ラッセルによせられた祝辞をすこし長く引用しすぎたかもしれない。しかし、これは、ラッセルがこれまでどのように偉大な仕事をしてきたかを、これらのひとびとの誠意あふれる祝辞を通して、いささかでも浮き彫りにしたかったからである。世間一般の祝辞には、いたずらに美辞麗句をならべ、内容も誇張されて、客観的な判断の材料としてはかえって有害だというべき場合が多いものであるが、世界中のすぐれた人物からよせられたこれらの祝辞はけっしてそういうたぐいのものではない。ここには誇張や美辞麗句による歪曲はなく、公正適確にラッセルの業績と人物が判断され評価されているということができるのである。
逆にいえば、ラッセルはこれら祝辞にのべられている通りのひとなのである。シュヴァイツァーがいうように、「わたしたちのために、まだ何年も生きて」ほしいひとなのである。百歳をこえて、何歳までも。
95歳の誕生日はつつましやかに祝われた。1967年5月18日、北ウェールズの自宅で、親類縁者と長年の友人たちをよんで私的なつどいがひらかれた。そして1日をおいた5月20日、おなじ自宅で、「ラッセル平和財団」(後述)の関係者をよんでのささやかなつどいがもたれた。これらふたつのつどいのほかには、何も公的なもよおしはおこなわれなかった。ラッセルにとっては、3月に出版された、『(ラッセル)自叙伝』の方がはるかに重要な意味をもっていた。
96歳の誕生日も、親類縁者と友人たち数人があつまって自宅でつつましやかに祝われた。この私的なつどいのほかに、イギリスで、とくに公的なもよおしはもたれなかった。しかし、北ヴェトナムをはじめ、インド、オーストラリアなどの外国で、この日を祝うもよおしがひらかれた。