ラッセルの哲学 概観と手引 10

 ラッセルは自分自身について言わなかったことアインシュタインについて(は)言った(言っている)。ラッセルは、相対性理論は「最小限の材料で達成された膨大な結果において感ぜられるところの偉大さに満ち溢れている(is possessed by 専有されている)」と書いた時、彼(自身)の真の感情へのよい手がかりを与えた(与えている)。
 オッカムの剃刀は単なる哲学上の節約運動のようなものではない。そう考えるのは、彫刻家とは大理石の不要な部分をとりのぞく人として記述するようなものである。それ(オッカムの剃刀)はまたヴィットゲンシュタインが示唆したように(ような)、記号法上の一つの規則でもない。(また)それは単に哲学的計算(訳注:philosophical calculations この表現は論理学における演算をイメージするとよいかも) において正確さの機会をより大きくするための規則でさえもない。オッカムの剃刀の使用は、ラッセルにとって、目的への手段であるだけでなく、それ自身において動機であるところのものの一部である。(即ち)それは、非人間的真理への彼の情熱とほとんど同じくらい力をもった一つの情熱であった(のである)。それは自分の原稿から不要な語を削りとる全ての著作家によく知られている情熱であり、最も洗練された証明や最も一般的な法則を求める全ての数学者や科学者によく知られた情熱である。このことを定義したり説明したりしようとするより、その実例を挙げるほうが容易である。*1
*1 『神秘主義と論理』p.70を参照
 ラッセルは1906年にこう書いている。「数理論理学のための原始命題の体系の多様な選択肢のなかから選択する時、原始命題最も少数かつ最も一般的であるものが、美的には(イタリック)、採用されるべきである。それは、あたかもケプラーの三つの法則よりも(ニュートンの)万有引力の法則が好まれるのとまったく同じである。(イタリックは アラン・ウッドによるもの)*2。ケプラーの第二法則を引力の法則からニュートンが演繹(証明)するのを読んだ時、「ほとんど陶酔に似た感じ」を覚えたと彼(ラッセル)は追想している。 *3 彼は、子供の時、等差級数の総和を求める公式を独力で発見した時の喜びや Eiπ=-1(注:「iπ=-1」は上付き)というような簡潔な公式において発見した喜びについて語った(語っている)。こういう実例において彼ははるかによく真実のすがたを描いているが、改 まった文章で書くときには、たとえば、「数学において極度の一般化がなされる理由は、一般的に証明 されうることを特殊な場合について証明して『時を空費』せぬためである」と言う。*4
*2 『ライプニッツの哲学』p.8
*3 『教育論』p.203
*4 『神秘主義と論理』p.66
訳注primitive propositions : みすず書房版の野田訳では「systems of primitive propositions」を「原始的概念の体系」と訳していますがこ れは誤訳と思われます。ラッセルは原子命題 (atomic proposition それ以上分 解できない命題/原子命題を組み合わせたものは分子命題)と原始命題とを区別しているのか、同じ意味で使っているのか、よくわかりません。
 なお、Weblio では、原始命題を次のように解説しています。
原始命題とは、「明日、太陽が東から昇る」「お隣の田中さんは犬を飼っている」などのように、それ自体で意味的に完結した単独の命題である。原始命題は、端的に、反証可能であるか反証不可能であるかのどちらかである。しばしば、日常において科学的と考えられている命題が原始命題として見られると、その命題において反証が可能でない場合がある。例えば、「(すべての)人間の行為は無意識の性的欲求に原因がある」「(唯物論的段階にあれば)共産主義革命がおこる」などである。一見科学的だがそれ自体では反証可能性を持たない仮説は、その仮説の意味内容、すなわち検証の直接的な対象が過去の出来事であったときに多く見られる。】

Summary and Introduction n.10 What he would not say about himself he said about Einstein. He gave a better clue to his real feelings when he wrote that the Theory of Relativity ‘is possessed by that sort of grandeur that is felt in vast results achieved with the very minimum of material’. Occam’s Razor is not just a kind of philosophical economy campaign; that is like describing a sculptor as a man who gets rid of unnecessary chips of marble. It is not, as suggested by Wittgenstein, a rule of symbolism. It is not even merely a rule for securing a greater chance of accuracy in philosophical calculations. Russell’s use of Occam’s Razor was not only a means to an end but part of something which was a motive in itself; a passion which had almost as much force in Russell’s mind as his passion for impersonal truth. It is a passion known to every writer who whittles away unnecessary words from his manuscript, and to every mathematician and scientist in the search for the most elegant proofs and most general laws. It is easier to give illustrations of it than to attempt to define or explain it.*1 *1 cf. Mysticism and Logic, p.70 Russell wrote in 1906 that, when choosing among the different alternative systems of primitive propositions for mathematical logic, ‘that one is to be preferred, aesthetically, in which the primitive propositions are fewest and most general; exactly as the Law of Gravitation is to be preferred to Kepler’s three Laws’ (my italics). *2 He recalled that he had ‘a sense almost of intoxication’ when he first studied Newton’s deduction of Kepler’s Second Law from the Law of Gravitation.*3 He told of his delight when he discovered for himself, as a boy, the formula for the sum of an arithmetic progression, and his delight in such a concise formula as Eiπ=-1. In such instances he gave a much truer picture, but when he wrote, for example, “then the justification for the utmost generalization in mathematics was not to “waste our time” proving in a particular case what can be proved generally’.*4 *2 Philsophy of Leibniz, p.8 *3 On Education, p.203. *4 Introduction to Mathematical Philosophy, p.197-8. Source: My Philosophical Development, 1959, by Bertrand Russell.
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