英国国防省前での座り込みデモ(1961年2月18日)

1961C100-300x217 (1961年)2月18日(ラッセル88才の時)の朝は、うす暗く、霧雨が降り、寒かった。そのためにわれわれは気が重かった。もしも雨になれば、(核兵器反対の)デモ参加者の数は、すでに参加を誓約していた多数の中核者たちがあったにもかかわらず、減るだろうことは、疑い得なかった。しかしわれわれがトラファルガー広場に集合した時には、大群集となっていた。どれほど大きな群衆であったか、正確に言うことは不可能である。新聞社や警察や百人委員会が計算した数の★中間★をとると、デモ参加者は約2万人を数えた。演説は立派に、てきぱきと行われた。集会の後、大きな幟(のぼり)を先頭に、ホワイトホール(ロンドンの官庁街)に向かって行進が始まったが、その行進は、百人委員会のデモ進行係の人たちの熟練された手ぎわのよさで、守備よく差配された。その行進は、トラフファガー広場にいた人々(約2万人)の中から、5千人をやや上まわる、波のように押し寄せたけれども、穏やかで真摯な,群衆から成っていた。ある地点で、われわれは警察によって、★交通を妨げるという理由★で停止させられたけれども交通障害という理由は、明らかに効き目はなく、行進は続行された。最終的には、5千人以上の人々が国防省のまわりの歩道に坐ったり、横になったりした。そうしてわれわれは暗くなるまで約2時間、そこに坐った(写真:国防省前に座り込むラッセルを始めとした百人委員会のメンバー)。それは、まったく無音ということではなかったが、きわめてまじめで静かな、政府の核政策に対する抗議であった。この座り込みの間、かなり多数の人々が座り込みに加わり、さらに多くの人々がわれわれを一瞥しようとやってきた。また、当然のこと、新聞やテレビの関係者が周囲に群れ集まり、いろいろ質問を行なった。‘デモ行進者が全員座った’ことがアナウンスされるやいなや、マイケル・スコットとシェーンマンと私は、事前に用意した貼り紙'(ビラ)を取り出し、国防省玄関のドアに貼り付けた。
BR-1961B 政府当局が消防用のホースを我々に向けて放水するように消防庁に依頼していたことを、我々は知った。幸いにも、★消防庁はそれを拒否した。午後6時になったところで、座り込みの終了を宣言した。’歓喜の波‘が全群衆にひろがった。夕暮れの中、灯火に照らされながらホワイトホールヘと引き返し、歓呼する支持者たちの間を通り過ぎた時、私は非常に幸せであった。我々はその日の午後始めたことを完全になし遂げ、我々が志した真剣な目的が何であるかを明らかにすることができたからであった。また、私を迎えてくれた群衆の歓呼と、私が通過する際に彼らが一斉に叫んでくれた「彼はとてもいい奴だから・・・」という大合唱に、私は感動させられた。

BR-1961The morning of February 18th was dark and drizzly and cold, and our spirits plummeted. If it rained, the numbers participating in the demonstration would undoubtedly dwindle in spite of the large nucleus already pledged to take part. But when we assembled in Trafalgar Square there was a great crowd. Precisely how great it was, it is impossible to say. The median number as reckoned by the press and the police and the Committee made it about 20,000. The speeches went well and quickly. Then began the march up Whitehall preceded by a large banner and managed with great skill by the Committee’s marshals. It comprised a surging but calm and serious crowd of somewhat over 5,000 of those who had been in the Square. At one point we were held up by the police who tried to stop the march on the ground that it was obstructing traffic. The objection, however, manifestly did not hold, and the march proceeded. Finally, over 5,000 people were sitting or lying on the pavements surrounding the Ministry. And there we sat for about two hours till darkness had fallen, a very solid and quiet, if not entirely mute, protest against governmental nuclear policies. A good many people joined us during this time, and more came to have a look at us, and, of course, the press and TV people flocked about asking their questions. As soon as word came that the marchers had all become seated, Michael Scott and Schoenman and I took a notice that we had prepared and stuck it on the Ministry door. We learned that the Government had asked the Fire Department to use their hoses upon us. Luckily, the Fire Department refused. When six o’clock arrived, we called an end to the sit-down. A wave of exultation swept through the crowd. As we marched back towards Whitehall in the dusk and lamplight, past the cheering supporters, I felt very happy – we had accomplished what we set out to do that afternoon, and our serious purpose had been made manifest. I was moved, too, by the cheers that greeted me and by the burst of ‘for he’s a jolly good fellow’ as I passed.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3:1944-1969 ,chap3:Trafalgar Square,(1969)
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/AB33-190.HTM

[寸言]
1961年2月18日(ラッセル88歳の時)の寒い日に行われた,核兵器撤廃運動の歴史に残る座り込みデモ。(すぐ後ろにエディス夫人がピッタリと付き添っている。) 写真には、ラッセルを委員長としていますが、マイケル・スコット(写真で、向かって、ラッセルの左に座っている人)が議長(行動隊の隊長のようなもの)ですので、ラッセルは「100人委員会総裁」という表現の方がよいだろうと思われます。

なお、最後の行の「「彼はとてもいい奴だから・・・」という大合唱に、私は感動させられた。」の、「彼はとてもいい奴だから(For He’s a Jolly Good Fellow)・・・」は、英米で、お祝いの時(誕生日や結婚式ほか)に広く歌われる(定番の)歌だそうです。
http://www.worldfolksong.com/songbook/usa/jolly-good-fellow.htm

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