(1944年)私自身は,自転車くらいの速度で威風堂々と航海する巨大な護送船に乗り,コルベット艦(注:機雷掃海や対潜水艦用として開発された小型の高速護衛艦)と飛行機によって護衛されて,英国に送られた。私は,『西洋哲学史』の原稿を携帯しており,不運にも検閲官たちは,敵国を利する情報がこの原稿に含まれていないか一語一語点検しなければならなかった。けれども,検閲官たちはついに,哲学の知識は敵国のドイツ人にまったく役立つものでないことがわかって満足し,きわめて礼儀正しく,私の著書を読んで興味深かったと明言した。正直に言えば,その時それは信じ難いと思った。一切が秘密であった。私は,いつ航海するか,どこの港から出帆するか,友人たちに知らせることを許されなかった。私は,ついに独力で,処女航海をするリバティー船(注:第二次大戦中に建造された規格型輸送船)に乗っていることを発見した。船長は愉快な人で,四隻あるリバーティ船で処女航海で真っ二つに折れたのは(たった)一隻だけだなどとよく言って,私を元気づけた。言うまでもなく,船はアメリカ船籍のもので,船長は英国人だった。(訳注:「言うまでもなく」,アメリカ人にはそう言ったユーモアはない,ということ)
心から私に共鳴していた船員が一人いた。彼は機関長で,(私の)『相対性理論入門』を読んでいたがその著者のことは何一つ知らなかった。ある日,私が彼とデッキの上を歩いている時,彼はこの小著の価値を賞賛し始めた。それで,その本の著者は自分だと言ったところ,彼の喜びようは際限のないものであった。
As for me, I was sent in a huge convoy which proceeded majestically at the speed of a bicycle, escorted by corvettes and aeroplanes. I was taking with me the manuscript of my History of Western Philosophy, and the unfortunate censors had to read every word of it lest it should contain information useful to the enemy. They were, however, at last satisfied that a knowledge of philosophy could be of no use to the Germans, and very politely assured me that they had enjoyed reading my book, which I confess I found hard to believe. Everything was surrounded with secrecy. I was not allowed to tell my friends when I was sailing or from what port. I found myself at last on a Liberty ship, making its maiden voyage. The Captain, who was a jolly fellow, used to cheer me up by saying that not more than one in four of the Liberty ships broke in two on its maiden voyage. Needless to say, the ship was American and the Captain, British. There was one officer who whole-heartedly approved of me. He was the Chief Engineer, and he had read The ABC of Relativity without knowing anything about its author. One day, as I was walking the deck with him, he began on the merits of this little book and, when I said that I was the author, his joy knew no limits.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 1: Return to England, 1969]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB31-010.HTM
[寸言]
戦争を始めると(戦争が始まると)どの政府も「敵国を利するものはないか」,情報や図書の「検閲」を始める。’理論’哲学なんか対象にならないはずであるが、「危険思想」と当局が判断する場合は「哲学」も対象になってしまう。
「検閲」をする以上、不適当な言葉がどこに書いてあるかわからないので、全文を読まなければならなくなる。薄い本であればあまり苦にならないであろうが、アメリカの検閲官は気の毒なことに、大部な『西洋哲学史』の全体を読まなければならなかった。一般市民に対する公開講座で話されたものなので難しいところはなかったと思われるが、話したものに追加した部分は、意味(「真意」)を掴みきれないところがあったかも知れない。たとえば、次のような文章。
「賢い人間が言ったことを愚かな人間が伝えると(とき),正確であったためしがない。なぜなら,愚かな人間は,自分が聞いたことを自分が理解できる内容(もの)に無意識に翻訳(誤変換)してしまうからである。」(別訳:利口な人の言ったことに関する愚かな人の記録は,決して正確ではない。なぜなら愚かな人は,自分の聞いたことを自分が理解できる何物かに,無意識のうちに反訳(誤訳)してしまうからである。)
[A stupid man’s report of what a clever man says is never accurate, because he unconsciously translates what he hears into something that he can understand.
(38)A History of Western Philosophy, 1945, chap. 11 (Socrates), p.101]