数学は, 正しく見れば,真理を持っているばかりではなく、最高の美を持っている。それは彫刻の美のように冷たく厳しい美しさであり、我々人間の弱々しい天性に訴えるものも、絵画や音楽のもつ豪華な飾りもなく、しかもきわめて純粋であり、最高の芸術のみが示すことができる厳格な完璧さに満ちた美である。最高の優雅さのしるしであるところの、真の歓喜、精神の高揚、人間を超えた存在の一部であるという感じが,詩の中と同じくらい確かに,数学の中にも見出すことができる。
Mathematics, rightly viewed, possesses not only truth, but supreme beauty - a beauty cold and austere, like that of sculpture, without appeal to any part of our weaker nature, without the gorgeous trappings of painting or music, yet sublimely pure, and capable of a stern perfection such as only the greatest art can show. The true spirit of delight, the exaltation, the sense of being more than Man, which is the touchstone of the highest excellence, is to be found in mathematics as surely as poetry.
出典:”The Study of Mathematics” In: Mysticism and Logic And Other Essays, 1918.
[寸言]
ラッセルのこの言葉は数学を賛美するものもとして,多くの数学好きに好まれ引用されます。
しかし,ゲーデルの不完全性定理や、記号論理学の知識論に果たす貢献の限界を感じるにつれ、数学に対する手放しの賛美の気持ちは少なくなっていきます。八十代後半になると,ラッセルは若い時の上記の数学i対する賛辞を「おおむね無意味だ」と考えるようになっていきました。ラッセルは 1959年(ラッセル87歳の時)に出した、 My Philosophical Development の中で次のように書いています。
「(数学は)その主題において非人間的だとは思われなくなった。きわめて不本意ながら,数学は類語反復(トートロジー)からなると信じるようになった。十分な知的能力を持つ精神にとって,数学の全体は,「四つ足の獣は動物である」という命題と同程度につまらぬ主張と見えるであろうと思われる。・・・。私はもはや数学的真理の中にいかなる神秘主義的満足をも見出すことはできない。」
(Mathematics has ceased to seem to me non-human in its subject-matter. I have come to believe, though very reluctantly, that it consists of tautologies. I fear that, to a mind of sufficient intellectual power, the whole of mathematics would appear trivial, as trivial as the statement that a forth-footed animal is an animal. In* My Philosophical Development, 1959, pp.211-212.)
数学に対する期待が非常に大きかったがために、(また、この世の人間や社会の問題の解決がより重大だと思うようになったがために)数学に対する幻滅(がっかり感)も大きかったのであろう。
なお、このことについては、「R徒然草2015」(2015年5月21日付け)の中で、ジム・ホルト(著),寺町朋子(訳)「世界はなぜ’ある’のか?-実存をめぐる科学・哲学的探索」(早川書房,2013年10月)からの引用としてもご紹介しています。
https://russell-j.com/cool/kankei-bunken_shokai2015.html#br2015-2