第16章 権力哲学, n.1

 本章の目的は,主として権力愛によって鼓舞されている若干の哲学について考察することである。(ただし)私は,権力愛(that matter)がそうした哲学の主題だと言っているのではなく,権力愛がそれらの哲学者の形而上学や倫理的判断における意識的あるいは無意識的な動機となっていると言っているのである。(訳注:that that matter の前の方の接続詞の that が省略された形と考える。)  我々の信念は,(我々の抱く)欲求(欲望)に観察が -程度の差はいろいろあるがー 結びつくことによって(その結果として)生ずる。ある場合には,欲求(欲望)の要素の役割がきわめてわずかなこともあり,ある信念においてはある要因(欲求あるいは観察)の役割はわずかであるが,他の信念においては別の要因(観察あるいは欲求/つまり、欲求に対する観察及び観察に対する欲求)の役割が僅かである。経験的な証拠によって確立できること(はっきりと証明することのできること)は非常に少なく,我々の信念がこのような証拠を超えて一歩踏みだすと,そうした(証拠の裏付けのない)信念の発生に(我々の)欲求が一役買うことになる。これに反して,虚偽であるという明らかかつ決定的な証拠がある場合、長期間生き残ることはほとんどない。ただし、そのような信念を肯定する証拠も否定する証拠もまったくない場合には,それらの信念は長い間生き残るかも知れない(生き残ることもある)。  哲学は人生よりも統一されている。人生においては,我々人間は多くの欲求(欲望)を抱くが,哲学は通常,何らか一つの支配的な欲求(欲望)によって鼓舞され,その支配的な欲求はその哲学に首尾一貫性を与えるのである。 世界も人生もあまりにも断片的だ. ドイツ人の教授を訪ねてみよう. 彼なら人生を統合する方法を知っていて 人生から知的な体系を作りだす(だろう) (訳注:出典が書かれていないのは、英国人なら誰でも知っているためか?  出典は:ハインリヒ・ハイネ「帰郷 Die Heimkehr」LVIII『歌の本』)  様々な欲求(欲望)が哲学者(たち)の仕事を支配してきた。(物事を)知りたいという欲求(欲望),それからこれと同じだとは決していえないものであるが,世界というものが知りうる(ものである)ということを証明したいという欲求(欲望)がある。幸福に対する欲求(欲望),美徳に対する欲求(欲望)また、その二つを総合した(人間の)救済に対する欲求(欲望)がある。神あるいは他の人々と一体感を持ちたいという欲求(欲望)もある。美に対する欲求(欲望),楽しみたいという欲求(欲望),そうして,最後に権力に対する欲求(欲望)がある。

My purpose, in this chapter, is to consider certain philosophies which are inspired mainly by love of power. I do not mean that matter is their subject-matter, but that it is the philosopher’s conscious or unconscious motive in his metaphysics and in his ethical judgments. Our beliefs result from the combinations, in varying degrees, of desire with observation. In some, the part of the one factor is very slight; in others, that of the other. What can be strictly established by empirical evidence is very little, and when our beliefs go beyond this, desire plays a part in their genesis. On the other hand, few beliefs long survive definite conclusive evidence of their falsity, though they may survive for many ages when there is no evidence either for or against them. Philosophies are more unified than life. In life, we have many desires, but a philosophy is usually inspired by some one dominant desire which gives it coherence.

Zu fragmentarisch ist Welt und Leben.
Ich will mich zum deutschen Professor begeben,
Der weiss das Leben zusammenzusetzen,
und er macht ein verstandig System daraus.
(note: The world and life are too fragmentary. I will betake myself to the German Professor; he knows how to synthesize life and he makes an intelligible system out of it.)

Various desires have dominated the work of philosophers. There is the desire to know, and what is by no means the same thing, the desire to prove that the world is knowable. There is the desire for happiness, the desire for virtue, and — a synthesis of these two — the desire for salvation. There is the desire for the sense of union with God or with other human beings. There is the desire for beauty, the desire for enjoyment, and finally, the desire for Power.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER16_010.HTM

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