ラッセル『権力-その歴史と心理』第7章 革命的な権力 n.6

 紀元4世紀末のカトリック教会と(キリスト教異端派の)アリウス派の帝国との争いの性格(本質がどのようなものであったか)は,紀元385年の(ヴァレンティニアヌス1世の妻の)ジャステイナ皇后と聖アンブロジウス(注:ミラノの大司教の聖アンブロース)との間の闘争に例示されている(両者の争いを見ればよくわかる)。皇后の息子(王子)ヴァレンティニアヌスは未成年だったので,彼女は摂政として行動していた。ふたりともアリウス派の信者であった。皇后が聖週間の間にミラノにいた時,

「(彼女は)ローマの皇帝は自分の領地内において自分の宗教(注:ここでは異端のアリウス派)を公的に使用することを主張してよいだろう,と確信した(説得させられた)。そこで皇后は,穏健かつ合理的な譲歩として,アンブロジウス大司教に対し,ミラノの市内においても,郊外においても,ただ一つの教会という慣行(use)を断念することを申し出た。しかし,アンブロジウスの行動は(皇后などとは)非常に異なる原理原則によって支配されていた。(即ち,)この地上の宮殿はなるほどカエサル(シーザー)のものかも知れない。しかし,教会は神の棲み家であった(indeed – but)。また,自分の監督管区の範囲内において,アンブロジウス自身は,使徒の正当な後継者として,神の唯一の司祭であった。キリスト教の特権は,霊的なもの同様現世的なものも,真の信者だけに限られていた。また(しかも)アンブロジウスの心は,自分自身の神学上の意見は真理と正統性の規準であるということを確信していた。アンブロジウス大司教は,サタンの手先どもと会議をしたり交渉をしたりすることを拒絶し,穏やかではあるが毅然とした態度で,不信心な神に対する冒涜に屈服するくらいならば,むしろ殉教者として死ぬ決意だと宣言した。」(ギボン『ローマ帝国衰亡史』第27章)

【原文では引用部分は改行されていない。引用文の始まりとして “was persuaded, とwas の直前に “マークがつけられ,最後の単語の直後に sacrilege.” と “マークがつけられており,見落とし易い。】

Chapter VII: Revolutionary Power, n.6

The nature of the conflict between the Church and the Arian Empire of the late fourth century is illustrated by the struggle between the Empress Justina and Saint Ambrose, Archbishop of Milan, in the year 385. Her son Valentinian was a minor, and she was acting as regent; both were Arians. Being in Milan during Holy Week, the Empress

“was persuaded, that a Roman emperor might claim, in his own dominions, the public exercise of his religion; and she proposed to the Archbishop, as a moderate and reasonable concession, that he should resign the use of a single church, either in the city or suburbs of Milan. But the conduct of Ambrose was governed by very different principles. The palaces of the earth might indeed belong to Caesar ; but the church were the houses of God ; and, within the limits of his diocese, he himself, as the lawful successor of the apostles, was the only minister of God. The privileges of Christianity, temporal as well as spiritual, were confined to the true believers ; and the mind of Ambrose was satisfied, that his own theological opinions were the standard of truth and orthodoxy. The archbishop, who refused to hold any conference, or negotiation, with the instruments of Satan, declared, with modest firmness, his resolution to die a martyr, rather than yield to the impious sacrilege.” (Gibbon, Ch. XXVII)
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER07_060.HTM

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