このような不注意な態度に抵抗して -他の少数の人間と同様に- 私はあらゆる機会を利用して核戦争の脅威(危険)を指摘した。当時私には-今でも考えは変わらないが- 迫りつつある危険を防ぐために計画をねり行動すべき時は,核戦争の脅威が迫りつつあることに最初に気がついた時である,と思われた。核戦争の脅威の進行がひとたび定着してしまえば,その進行を止めることはよりいっそう困難になる。それゆえ米国がソ連に対してバルック提案(Baruch Proposal/ Baruch Plan)をした時,望みがもてると思った。当時私は,その提案を良いと思ったし,その提案をした米国の動機も良いと思った。後にはそれほど良くはないと思うようになった。しかし,それでもなお,私は,ソ連がその提案をあの時受け入れてくれていたらよかったと思っている。けれどもソ連はその提案を受け入れなかった。ソ連は,1949年8月に(ソ連として)最初の原爆を爆発させた。また,破壊力において,あるいは上品に言えばその防衛力において,米国と同等になるために全力を尽くすだろうことは明らかであった。軍備競争は,それを回避するための根本的な方策が講じられないかぎり,避けられないものとなった。それが,1948年暮れに,核軍備廃棄をソ連に強制するために,アメリカがソ連に対し,即時開戦の脅威を与える(与えて核を廃棄させる)矯正策を私が示唆した理由である。私は,このような方策をとる理由を,『常識と核戦争』の付録にいくつかあげている。私が1948年に抱いたこの見方についての主な弁解(理由)は,ソ連は西側の要求を受け入れる可能性がかなりあると当時私は考えていたということである。しかし,ソ連が,核兵器を搭載した飛行機を積んだかなりの規模の艦隊をもつようになってからは,その可能性もなくなった。
私がこうした助言をしたことが,いまなお持ち出されては私を非難する材料として使われている。共産主義国がそのような助言に反対する理由は理解しやすい。けれども,私に対するよくある批判は,私が平和主義者でありながらかつてソ連を戦争で脅かすこと唱導したという点にあった。私は,平和’主義者’ではなく,ごくまれではあるが,戦争のうちには正当化されるものや,必要でさえあるものもあると信じていることを,いくら繰り返し言っても,何の効果もないようである。いろいろな問題がこれまで,いかなる平和的手段ではまったく止められなくなるまで,明らかに悪い方向に引き摺られてきたことから,ある種の戦争は通常必要である。そして,私を批判する者は,’冷戦’継続の結果として増大した諸悪(松下注:たとえば,後戻りできないほど大規模な産軍複合体制が出来上がってしまったことなど),また1948年に戦争でソ連を脅かすという私の助言が採用されていたならば,冷戦そのものと共に,回避することができたであろう諸悪について,考慮していないように思われる。もし私の意見が採用されていたとしても,その結果はあくまでも仮説に基づいたもののままであるが,私の見るかぎり,その助言をしたということは,決して私にとって恥辱ではないし,また,私の思想の「矛盾」を表わすものでは決してないのである。
Against this careless attitude I, like a few others, used every opportunity that presented itself to point out the dangers. It seemed to me then, as it still seems to me, that the time to plan and to act in order to stave off approaching dangers is when they are first seen to be approaching. Once their progress is established, it is very much more difficult to halt it. I felt hopeful, therefore, when the Baruch Proposal was made by the United States to Russia. I thought better of it then, and of the American motives in making it, than I have since learned to think, but I still wish that the Russians had accepted it. However, the Russians did not. They exploded their first bomb in August, 1949, and it was evident that they would do all in their power to make themselves the equals of the United States in destructive – or, politely, defensive – power. The arms race became inevitable unless drastic measures were taken to avoid it. That is why, in late 1948, I suggested that the remedy might be the threat of immediate war by the United States on Russia for the purpose of forcing nuclear disarmament upon her. I have given my reasons for doing this in an Appendix to my Common Sense and Nuclear Warfare. My chief defence of the view I held in 1948 was that I thought Russia very likely to yield to the demands of the West. This ceased to be probable after Russia had a considerable fleet of nuclear planes.
This advice of mine is still brought up against me. It is easy to understand why Communists might object to it. But the usual criticism is that I, a pacifist, once advocated the threat of war. It seems to cut no ice that I have reiterated ad nauseum that I am not a pacifist, that I believe that some wars, a very few, are justified, even necessary. They are usually necessary because matters have been permitted to drag on their obviously evil way till no peaceful means can stop them. Nor do my critics appear to consider the evils that have developed as a result of the continued Cold War and that might have been avoided, along with the Cold War itself, had my advice to threaten war been taken in 1948. Had it been taken, the results remain hypothetical, but so far as I can see it is no disgrace, and shows no ‘inconsistency’ in my thought, to have given it.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 1: Return to England, 1969]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB31-040.HTM
[寸言}
ラッセル自身、自分のことを「平和主義者」と自称することがあった。しかしそれは,自然科学の分野で使われるのと同じ意味での「絶対」平和主義ではもちろんない。自国の領土にヒトラーやスターリンの軍隊が侵略してきても戦わないような「絶対」を意味してない。だから「ラッセルは平和主義者なのに,たとえ相手がヒトラーだとしても,反戦の立場を変えるのは間違っている(変節だ! ぶれている!)」といった非難はあたらない。
松元雅和氏は『平和主義とは何か 政治哲学で考える戦争と平和』(中公新書)で,ラッセルを「平和優先主義者」と規定し,ラッセルの立場を擁護している。言葉尻をとらえて「大部分の人間は平和を’優先’する」といったチャチャを入れるのは関心しない。私も松元氏の考えに共感をいだく。ただ,考えてみれば社会科学において「◯◯主義」というのは,「絶対的」な「◯◯主義」意味しないのは通常のはずである。従って,ラッセルは「平和主義者」を自称していたのに第二次世界大戦においてドイツとの戦争に賛成する(実際は賛成せざるを得ない)のはおかしいと非難するのはもともと見当はずれだといわなければならない。(注:上記のように書くと誤解が生じるかもしれない。現代においてはどんなに小規模な戦争も核兵器の使用の「可能性」のある大規模な戦争に発展する危険性があることから、現代においては、ラッセルは理論的にはそうでなくても、実質的には「絶対」平和主義者であると言えなくもないし、本人も『自伝』などでそのように言っている。)
それにしても,最近の日本では「ぶれない」ことを自慢する政治家が少なくないが,間違っていると気づいたら(ラッセルのように)その間違いを認めて「ぶれて」ほしい。