私は,デカルト学派によって前進された対応説(注:theory of correspondence 精神と物質/心と物との間に因果関係はないが,両者は同時並行=対応しているとの説=理論)よりも好んでいる理論(説)を,証明可能ではないけれども,単純かつ統一的な仮説として,提出したい。
我々は,精神も物質もともに(個々の)事象の系列(注:順序を持った事象の集合)から成立っているという考えに同意した。また,物質を形成している(個々の)事象についても,その時=空的構造以外には何も知らないということで,意見が一致した。私が提出(提案)するのは,生きている脳を構成する事象は,実は,それに対応する精神を構成する事象と同一である,ということである。
この見解を拒否するために,自然に(当然のように)思い浮ぶ理由は,物質的対象を視覚や触覚において(見たり触ったりして)経験する対象と混同することに依存している。後者は,あなたの精神の一部分である(注:物的対象そのものではなく,その物的対象から発せられた光がその人の目に達し,視神経を通ってその人の脳で再構成された心的現象である)。普通の(常識的な/日常的な)言語を使ってよいならば,今この瞬間において,私は自分の部屋の家具や,風にゆらぐ木々や,家々,雲,青空,それから太陽を見ることができる(と言うことができる)(注:厳密な科学言語で言わなければいけないとしたら,このようには言えない)。(私の/我々の)常識は,これら全ての物は私の外(部)に存在していると想像する。これら全ての物は,私の外部にある物理的対象と因果的に結合している(因果関係にある)と私は信じているが,物理的対象が,重要な点で私が直接的に経験するものと異なっていなければならない(異なっているに違いない)ということを悟るやいなや,また私が物理的対象から出て私の感覚が起る(感覚器官で受け取る)以前に私の脳に達する因果の連鎖(因果関係)を説明するやいなや,物理的因果関係の見地から,私は直接に経験した感覚対象が,私の脳の中にあって(私の)外の世界にないことを知る(注:つまり,脳内現象に過ぎないということ)。カントは,星の満ちた天と(人間の)道徳律とを一緒にしたが,両者とも(彼の/人間の)脳の虚構物(figments 産物/作り事)であるゆえに,彼の考えは正しかった。
I wish to suggest, as a hypothesis which is simple and unifying though not demonstrable, a theory which I prefer to that of correspondence advanced by the Cartesians. We have agreed that mind and matter alike consist of series of events. We have also agreed that we know nothing about the events that make matter, except their space-time structure. What I suggest is that the events that make a living brain are actually identical with those that make the corresponding mind. All the reasons that will naturally occur to you for rejecting this view depend upon confusing material objects with those that you experience in sight and touch. These latter are parts of your mind. I can see, at the moment, if I allow myself to talk the language of common sense, the furniture of my room, the trees waving in the wind, houses, clouds, blue sky, and sun. All these common sense imagines to be outside me. All these I believe to be causally connected with physical objects which are outside me, but as soon as I realize that the physical objects must differ in important ways from what I directly experience, and as soon as I take account of the causal trains that proceed from the physical object to my brain before my sensations occur, I see that from the point of view of physical causation the immediately experienced objects of sense are in my brain and not in the outer world. Kant was right to put the starry heavens and the moral law together, since both were figments of his brain.
出典:Bertrand Russell : Mind and Matter (1950?)
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/19501110_Mind-Matter140.HTM
<寸言>
我々は日常的には(「常識的には」)自分と外界(世界)とは別だと考えてしまうが、外界は我々(自我)が構成した「構成物」にすぎない。「私」が死ねば「私にとっての世界」は消滅し、「人類」(あるは高等生命)が滅亡すれば「人類にとっての宇宙」も消滅する。
それでは、「感覚を持つ生命体」がまったく存在しない宇宙とはどんなものであろうか? 今我々が見ているような生命や物質にあふれた宇宙ではなく、量子が充満し、ある場所ではそれらの濃度が濃く、ある場所ではそれらの濃度が薄い、カオス宇宙にすぎないのであろうか?