被害妄想にならないためには確率論の真理の理解が重要

estimate-probability_keep-calm 確率論に従えば、ある特定の社会に住んでいる異なる人びとは、一生の間には、ほぼ同量のひどい仕打ちを受けるというのが、ありそうなことである。ある(人間の)集合のなかの(要素である)一人が、その人自身の説明によれば、みんなから酷い仕打ちを受けているとすれば、多分、その原因は彼自身の中にあるのであり、実際は危害を受けていないのに受けたと空想しているか、あるいは、無意識的に、抑えきれない怒りを引き起こすようなふるまいをしている(注:そうしてその結果としての反応を得ている)と思われる。

In accordance with the doctrine of probability, different people living in a given society are likely in the course of their lives to meet with about the same amount of bad treatment. If one person in a given set receives, according to his own account, universal ill-treatment, the likelihood is that the cause lies in himself, and that he either imagines injuries from which in fact he has not suffered, or unconsciously behaves in such a way as to arouse uncontrollable irritation.
出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.8: Persecution mania
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA18-010.HTM

[寸言]
もちろん,例外はあるので,その人がたままた特異な経験(ありえないほどの不幸の連続,マイノリティとしての迫害,その他)をしてきた可能性はゼロではない。しかし,ほとんどの場合は確率論があたっている。従って,客観的にみて,自分がそういった特異の環境・状況のなかにいると断定できない場合には,悪意を持った人に騙させたくなければ,常に冷静さを失わないように気をつける必要がある。たとえば,冷静さを失わなければ,「オレオレ詐欺」などはふつうはひっかからないはずであるが・・・?

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