私が言おうとしているのは,愛情にはいろいろ異なる種類がある,ということである。夫婦の愛情,親の子に対する愛情,子供の親に対する愛情は,それぞれ,別種の愛情である。弊害が生じるのは,これらの種類の異なる自然な愛情が混同されるときである。フロイト主義者が真理に到達していると思えないが,そう思うのは,彼らがこれらの間にある本能上の違いを認めない(認識していない)からである。そして、このために彼らは、ある意味で,親と子に関しては,禁欲主義的になっている。なぜなら、彼らは、親子間のいかなる愛情も不十分な性愛の一種と見るからである。
私は、特別な不幸な事情がある場合を除いて、根本的な自己否定が必要だとはまったく思わない。互いに愛しあい、我が子を愛している男女は、自分の心が命ずるままに,自発的にふるまうことができるべきである。彼ら(親)は、多くの思索と知識を必要とするであろうが、それらは、親としての愛情から獲得するであろう。
彼らは、お互いから(夫婦の間で)得られるものを子供に要求してはならないが、彼ら夫婦がめいめいにおいて幸せであれば、そのようなことをしたいという衝動を感じないであろう。子供たちは、(親に)適切に世話をしてもらっていれば、両親に対して自然な愛情をいだくであろうが、それは、独立心の妨げとはならないだろう。必要なのは、禁欲的な自己否定ではなく、知性と知識によって十分に啓発された本能をのびのびと豊かなものにすることである。
What I do mean is that there are different kinds of affection. The affection of husband and wife is one thing, that of parents for children is another, and that of children for parents is yet another. The harm comes when these different kinds of natural affection are confused. I do not think the Freudians have arrived at the truth, because they do not recognize these instinctive differences. And this makes them, in a sense, ascetic as regards parents and children, because they view any love between them as a sort of inadequate sex love. I do not believe in the need of any fundamental self-denial, provided there are no special unfortunate circumstances. A man and woman who love each other and their children ought to be able to act spontaneously as the heart dictates. They will need much thought and knowledge, but these they will acquire out of parental affection. They must not demand from their children what they get from each other, but if they are happy in each other they will feel no impulse to do so. If the children are properly cared for, they will feel for their parents a natural affection which will be no barrier to independence. What is needed is not ascetic self-denial, but freedom and expansiveness of instinct, adequately informed by intelligence and knowledge.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:
Education of character, chap. 11: Affection and Sympathy
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE11-090.HTM
[寸言]
ビートルズの歌う All You Need Is Love という表現があるが(注:「愛こそすべて」は誤訳。「あなたが必要とする全て→ あなたが足りないものは愛だけだ!)、フロイトなどが子供の欲求(口唇期)も含めて、人間はすべて libido (リビドー)で駆られていると考えるのは行き過ぎであり,愛情にもいろいろなタイプがある(必要な区別はすべきである)というラッセルの指摘。
日本でフロイトがもてはやされていた時期のように、何でもリビドーやエス(イド=動物的本能)から説明しようとする人は今ではほとんどいないと思われるが・・・?