ラッセル『私の哲学の発展』第13章 言語 n2

 「意味」の定義を探し求めるにあたって、私は他の場合と同様(as elsewhere)、行動主義者の原理・原則は究極においては不十分であることが明らかになるであろうと期待する一方、この原理・原則に従って可能な限り進んでみるという計画を追求した。子供は「犬」という語を適切な場合(時/機会)に使用する習慣を、他のいかなる習慣の(獲得の)場合と全く同様の仕方で獲得する、ということは明らかである。 テレスコーピング(伸縮現象)の通常の過程によって、犬がやってきて(それを見た)少年に「犬(だ)」という言葉を発したい衝動を与え、また、(2)「犬(だ)」という発話を聞くと少年は犬(がいること/orやってくること)を期待したり、探したりする。【訳注:この部分の英文は次の通りで、野田氏は以下のように訳しています。 By the ordinary process of telescoping, a dog comes in time to give him an impulse to say ‘dog’, and hearing the word ‘dog’ makes him expect or look for a dog. 野田氏の訳文:子供はその注意が犬に集中されている時に「犬」という語が発言されるのをたびたび聞く。ところで、事件が重複して起こるのは世の常であるから、やがて犬が現れて子供に「犬」という語を発する衝動を起こさせる。  → 訳文の「内容(主張)」自体は間違っていないと思われますが、原文の訳になっていないのではないでしょうか? | “telescoping”:テレスコーピング(伸縮)現象(社会学・心理学・認知科学):テレスコープ(Telescope・望遠鏡)から派生した言葉で主に伸縮を表す。即ち、長期記憶において、実際の様々な出来事や事象の時系列と、自身の思う時系列の食い違いがあり、その事象の衝撃度や印象度や個人的な思考や嗜好から、新鮮な印象と古い印象のものに別れた結果、経過した時間に比べ時間の短縮や時間の伸びが感じられ、実際の時系列と食い違うことをいう。】 この二つの習慣が獲得されると、子供は 「犬」という語の意味を理解していると言って良いだろう。(ただし)それ(二つの習慣の獲得)は、その子供が「犬」という語の定義で成り立っているような精神状態を持っていることを意味していない。(即ち、)子供は二つの行動様式をもち、一つは(一方は)(目の前に見える)犬から「犬」という語の一例(注:発話されたものは1回限りの唯一のもの!)へと導き、もう一つ(他方)はその語の一例から犬種の動物の一例へと導くということを意味するだけである(普遍的な犬などは存在していない!)。これら二つの習慣を身につけてしまうと、子供は正しく話せることになる。 「犬」という語に関する限り、その子供は、辞書編纂者にならないのであれば、もうそれ以上何も必要としない。 「対象語(object-words)」と呼ばれるものに関しては、「意味」の定義のためにこれ以上何も必要はない。 「犬」という語が(現実の)犬を意味するということは、上の二つの習慣が獲得されたと言っているにすぎない。 これら二つの習慣は、それぞれ、その語の能動的理解(active understanding)および受動的理解(passive understanding)と呼ぶことができる。能動的理解は犬を前にして「犬」という語を発することから成り、受動的理解は「犬」という語を聞いた ときに犬(の登場を)期待したりまたは探したりすることから成っている。 受動的理解は能動的理解よりも先行し(先行するが)、人間のみに限定されない。 犬や馬もある一定数の語の受動的理解を持つ。 他方、鸚鵡(おうむ)は語を発することができるがその語の意味するところを理解しているといういかなる印も示さない。 ひとつの語を「正しく」用いるということの意味について私は次のような定義を与えた。『精神の分析』 p.198) 「語は、(聴覚機能が)普通の聞き手がその語によって、意図された方向に影響を受ける場合、「正しく」使用されている。 これは「正しさ」の心理学的定義であって、文学的定義ではない。 文字的定義ならば、普通の聞き手の代りに、遠い過去の時代に生きた高い教養をもつ人を置くであろう。 こういう定義の目的は、正しく語り書くことを困難にすることである。 「一つの語とその意味との関係は、我々の語の使用とその語が用いられたのを聞いたときの我々の行動を支配する(ところの)一つの因果的法則の性質を帯びている(is of the nature)。 一つの語を正しく使用する人が、その語の意味を言うことができなければならないという理由はない。それは、(あたかも)正しく動いている一つの惑星がゲブラーの法則を知らなければならないという理由はないのと同様である。」

Chapter 13: language, n.2 In seeking the definition of ‘meaning’, I pursued, as elsewhere, the plan of proceeding as far as possible on behaviourist principles while expecting these principles to prove ultimately inadequate. It is obvious that a child acquires the habit of using the word ‘dog’ on appropriate occasions exactly as he acquires any other habit. He frequently hears the word ‘dog’ uttered while his attention is fixed upon a dog. By the ordinary process of telescoping, a dog comes in time to give him an impulse to say ‘dog’, and hearing the word ‘dog’ makes him expect or look for a dog. When these two habits have been acquired the child may be said to know the meaning of the word ‘dog’. This does not mean that the child has a state of mind consisting in a definition of the word ‘dog’; it means only that he has two modes of behaviour, one leading from a dog to an instance of the word ‘dog’, and the other, from an instance of the word to an instance of the canine species. When he has acquired these two habits, he can speak correctly. So far as the word ‘dog’ is concerned, he needs nothing more until he becomes a lexicographer. In regard to what may be called ‘object-words’, nothing more is needed for the definition of ‘meaning’. To say that the word ‘dog’ means dog is only to say that these two habits have been acquired. The two habits may be called, respectively, active and passive understanding of the word. Active understanding consists of uttering the word in the presence of a dog, and passive understanding consists of expecting or looking for a dog when you hear the word ‘dog’. Passive understanding comes earlier than active understanding and is not confined to human beings. Dogs and horses learn the passive understanding of a certain number of words. Parrots, on the other hand, can utter words, but show no sign of knowing what they mean. I gave the following definition of what is meant by using a word ‘correctly’ (loc. cit., p.198): ‘A word is used “correctly” when the average hearer will be affected by it in the way intended. This is a psychological, not a literary, definition of “correctness”. The literary definition would substitute, for the average hearer, a person of high education living a long time ago ; the purpose of this definition is to make it difficult to speak or write correctly. ‘The relation of a word to its meaning is of the nature of a causal law governing our use of the word and our actions when we hear it used. There is no more reason why a person who uses a word correctly should be able to tell what it means than there is why a planet which is moving correctly should know Kepler’s laws.’
 Source: My Philosophical Development, 1959, chapter 12
 More info.: https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_13-020.HTM

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