ラッセル『私の哲学の発展』第5章 「一元論にそむいて多元論へ」 n13


 私が関係の問題の重要性を初めて認識したのは、私がライプニッツを研究していた時であった。ライプニッツに関する多くの書物が明らかにしえなかったことであるが、ライプニッツの形而上学は明らかに、全ての命題(注:「AはBである」という真偽を判定できる陳述)は(命題は全て)一つの主語に一つの述語を帰属させるものであり、かつ(これはライプニッツにとってはほとんど同じことだと思われたようであるが)全ての事実は、ある特性をもつ実体(a substance)から成る、という学説(理論)を基礎としていることを私は発見した。私はまた、同じ学説(理論)が、スピノザヘーゲルブラッドリ体系の基礎にも存在することを発見した。実際,彼らはその学説をライプニッツによって示されたものよりももっと論理的に厳密に展開させたのである。  しかし、私が(自分の)新しい哲学を喜んだのは、これらのかなり無味乾燥な、論理説(論理上の学説)(doctrines”と複数形になっていることから、ラッセルの自分の学説ではなく、ヘーゲルやブラッドリなどの諸学説を指していると推定される。)のためだけではなかった(注:”rather”を野田氏はよくあるように「どちらかと言えば」と訳しているが、ここでは「かなり」と訳したほうがよいであろう。)。私は,実際,大いなる解放感をもったのであって、(生暖かい)温室(a hot-house)を脱出して、風に吹きさらされている岬に出たように感じた。私は空間及び時間は私の精神(心)の中にあるにすぎないという考えのもつ息苦しさ(stufiness 閉塞状態)が大変嫌であった(hated 憎んだ)。私は道徳律(moral law)よりも星空の方をいっそう好み(even better than)、私の一番好きな星空が主観の虚構物(figment 作り事)にすぎないというカントの見解には耐えられなかった。このように解放感にあふれていたはじめの頃、私は素朴実在論者となり、ロック以降の全ての哲学者たちの反対論にもかかわらず、草は本当に緑(色)である(自分の脳内の虚構ではない)という考えを楽しんだ。私はそれ以来この心地よい信念を、その最初の強さで保持し続けることはできなかったが、しかし再び主観という牢獄にわが身を閉じこめることは決してなかった。
Chapter 5: Revolt into Pluralism, n.13
I first realized the importance of the question of relations when I was working on Leibniz. I found — what books on Leibniz failed to make clear — that his metaphysic was explicitly based upon the doctrine that every proposition attributes a predicate to a subject and (what seemed to him almost the same thing) that every fact consists of a substance having a property. I found that this same doctrine underlies the systems of Spinoza, Hegel and Bradley, who, in fact, all developed the doctrine with more logical rigour than is shown by Leibniz. But it was not only these rather dry, logical doctrines that made me rejoice in the new philosophy. I felt it, in fact, as a great liberation, as if I had escaped from a hot-house on to a wind-swept headland. I hated the stuffiness involved in supposing that space and time were only in my mind. I liked the starry heavens even better than the moral law, and could not bear Kant’s view that the one I liked best was only a subjective figment. In the first exuberance of liberation, I became a naive realist and rejoiced in the thought that grass is really green, in spite of the adverse opinion of all philosophers from Locke onwards. I have not been able to retain this pleasing faith in its pristine vigour, but I have never again shut myself up in a subjective prison.
 Source: My Philosophical Development, chap. 5:1959.  
 More info.:https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_05-130.HTM

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