完全な’知的行き詰まり’の時期 - 白紙だけを毎日見続け・・・

・・・。当時(注:1903年~1904年)私は、前述したパラドクス(論理的矛盾)を解決しようと懸命に努力していた。毎朝私は、1枚の白紙の前に坐った。途中に短い昼食の時間がはいるだけで、後はずっと1日中、その白紙をみつめていた。しばしば、夕方になっても、紙は依然として白紙のままであった。

br_paradox その2年間の冬は、私たち(夫婦)はロンドンで過ごした。冬の間中、私は、全然仕事をしようとしなかった。しかし、1903年と1904年の2度の夏は、完全な’知的行き詰まりの時期’として、私の記憶に残っている。パラドクスを解決しないことには先に進めないことは明らかであった。そこで、いかなる困難があっても『プリンキピア・マテマティカ』の完成だけはなしとげようと決意していた。しかし、私のその後の人生のすべては、あの白紙のみを見つめることに費やされることはまったくありそうなことだと思われた。さらに一層私をいらいらさせたのは、そのパラドクスは取るにたらないものであり、私の貴重な時間が、まじめな注意を払うに値いしないと思われるような事柄について考えることに費やされるということであった。

deaclockI was trying hard to solve the contradictions mentioned above. Every morning I would sit down before a blank sheet of paper. Throughout the day, with a brief interval for lunch, I would stare at the blank sheet. Often when evening came it was still empty. We spent our winters in London, and during the winters I did not attempt to work, but the two summers of 1903 and 1904 remain in my mind as a period of complete intellectual deadlock. It was clear to me that I could not get on without solving the contradictions, and I was determined that no difficulty should turn me aside from the completion of Principia Mathematica, but it seemed quite likely that the whole of the rest of my life might be consumed in looking at that blank sheet of paper. What made it the more annoying was that the contradictions were trivial, and that my time was spent in considering matters that seemed unworthy of serious attention.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 6: Principia Mathematica, 1967]
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/AB16-130.HTM

[寸言]
shoji_wani 若い頃には、誰もが、こんな非生産的なことばかりしていたくないと気が焦ることがあるであろう。若い時、安穏に暮らし、そのようなことを思ったことがない人間は、年をとってから、若い時にもっと勉強しておくべきだった(もっと努力すべきだった)と思うことになる。 (「え? そんなこと思ったことない? 若い時に、裕福かつ環境にめぐまれていた人は、今は、あっちに行っていてください」 by SHOJI Sadao

 偉大な知的業績は簡単にあげられるものではない。ラッセルは自分が可能な限り、知的貢献をしたいと思ったがゆえに、大きな障害にぶつかり格闘することになる。長い努力の結果、その後一応の解決が得られたが、解決できず、挫折し、その後の人生が苦いものになった可能性もあったかも知れない状況であった。

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