ラッセル『宗教と科学』第5章 魂と肉体 n.19


 (さて)生理学や心理学に関する現代の学説が,不死に対する正統信仰にどのような関係を持つか(持っている)か問うこと(仕事)が残っている。  魂が肉体の死後生存するというのは,これまで見てきたように,キリスト教徒によっても非キリスト教徒によっても,また文明人によっても野蛮人(未開人)によっても,広く抱かれてきた考えである。キリストの時代(キリストが生きていた時代)のユダヤ人の中でも,ファリサイ派の人たち-(注: the Pharisees 古代イスラエルの第二神殿時代後期に存在したユダヤ教内グループで,現在ではユダヤ教正統派と呼ばれている。なお,パリサイ派と表記されることがある。)は(魂の)不死を信じたが,旧来の伝統を固執したサドカイ派(注: the Sadducees 第二神殿時代の後期に現れ、ユダヤ戦争に伴うエルサレム神殿の崩壊と共に姿を消したユダヤ教の一派)は信じなかった。キリスト教においては永遠の生命に対する信仰は,常にとても重要な(突出した)地位を保持してきた。ロマン・カトリックの信仰に従って,煉獄(purgatory れんごく:カトリックの教えによれば,煉獄は天国と地獄との間にある,死者の霊が天国にはいる前に通過しなければいけない場所で,ここで火によって浄化される。)における一定期間の(魂の)浄化の苦しみの後- 天国における至福を享受する者もいれば,地獄において無限の苦痛を受ける者もいる。今日では,自由主義的なキリスト教徒は,しばしば,地獄は永遠なものではないという見解に傾いている。この考えは,1864年に(英国)枢密院(the Privy Council)がそう考えることは非合法ではないと決定して以来,英国国教会の多くの牧師たちによって抱かれるようになった(支持されるようになった)。しかし,19世紀半まで,キリスト教信仰を公言する者(professing Christians)で,永遠の罪が実在することを疑う者はほとんどいなかった。地獄に対する恐怖は -その程度はより少なくなったが,いまだ今日でも- 最も深い不安の源(心配の種)であり,それは永遠の生命に対する信仰から導き出される心地よさを大いに減少させた。他人を地獄から救おうとする動機が,他人に対する迫害の正当化として、促された(注:ひどい迫害をしても,それはあなたを地獄行きから救うためということで,迫害の正当化のために使われた,ということ/因みに,荒地出版社刊の津田訳では「他人を地獄から救おうとする動機が,喜んで迫害を受けようとする心持ちを起こさせた」と誤訳している。「justification of persecution 迫害の正当化」の意味を取り違えたようであるが、津田訳では「自虐することの正当化」なんてことになってしまう )。なぜなら,もしある異端者が,他人を誤導することにより,彼らに天罰(damnation)を受けさせることができるとしたら,そのような恐ろしい結果を防止するため用いられるのならいかなる地上における拷問をもってしても過剰ではない(足りない)と考えられたからである(注:地獄にいかせないためにやる迫害は許される,というへ理屈)。というのも,今日ではどう考えられているにせよ,以前には(昔は),わずかな例外は別として,異端(キリスト教の正統派以外)は救済と両立しないと信ぜられていたからである。

Chapter 5: Soul and body, n.19
It remains to inquire what bearing modern doctrines as to physiology and psychology have upon the credibility of the orthodox belief in immortality. That the soul survives the death of the body is a doctrine which, as we have seen, has been widely held, by Christians and non-Christians, by civilized men and by barbarians. Among the Jews of the time of Christ, the Pharisees believed in immortality, but the Sadducees, who adhered to the older tradition, did not. In Christianity the belief in the life everlasting has always held a very prominent place. Some enjoy felicity in heaven – after a period of purifying suffering in purgatory, according to Roman Catholic belief. Others endure unending torments in hell. In modern times, liberal Christians often incline to the view that hell is not eternal ; this view has come to be held by many clergymen in the Church of England since the Privy Council, in 1864, decided that it is not illegal for them to do so. But until the middle of the nineteenth century very few professing Christians doubted the reality of eternal punishment. The fear of hell was – and to a lesser extent still is – a source of the deepest anxiety, which much diminished the comfort to be derived from belief in survival. The motive of saving others from hell was urged as a justification of persecution ; for if a heretic, by misleading others, could cause them to suffer damnation, no degree of earthly torture could be considered excessive if employed to prevent so terrible a result. For, whatever may now be thought, it was formerly believed, except by a small minority, that heresy was incompatible with salvation.
 出典:Religion and Science, 1935, chapt. 5:
 情報源:https://russell-j.com/beginner/RS1935_05-190.HTM

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