ラッセル『宗教と科学』第5章 魂と肉体 n.10

 魂(精神)と肉体の関係を考えることにおいて,現代哲学との調和が困難なのは実体の概念だけではなかった。(即ち)因果律(の概念)に関しても同様な困難があった。  原因の概念(観念)は,主とし,て罪(注:キリスト教の原罪)との関連で神学(キリスト教神学)の中にに入ってきた(entered into)。罪(原罪)意志(will)の属性であり(付きものであり),意志(volition)は行為の原因だった(とされた)。しかし,意志はそれ自体必ずしも先行する原因の結果ではありえない。なぜなら,もしそうであったとすると,我々(人間)は自分の行為に対し責任を持たなくてよいことになるからである(注:自分の意志とは関係なく,自分の行為には抵抗できない原因があるとしたら,人間は自分の行為に責任を持てない=持たなくて良い,ということになってしまう)。従って、罪(原罪)の観念を保護するためには,(人間の)意志は(少なくとも時には)原因ではなく,また,意志は原因でなければならない,ということが等しく必要であった(注:場合によって,意志は原因となったりなかったりする必要があった)。このことは,精神現象の分析及び両者(心と肉体)の関係に関する多くの命題を(必然的に)伴った。そうして,これらの命題のいくつかのものは時代が進むに連れて維持することが極めて困難になった

Chapter 5: Soul and body, n.10 In considering the relations of soul and body, it was not only the conception of substance that was found difficult to reconcile with modern philosophy ; there were equal difficulties as regards causality. The conception of cause entered into theology chiefly in connection with sin. Sin was an attribute of the will, and the will was the cause of action. But volition could not itself be always the result of antecedent causes, since, if it were, we should not be responsible for our actions ; in order to safeguard the notion of sin, therefore, it was equally necessary that the will should be (at least sometimes) uncaused, and that it should be a cause. This entailed a number of propositions both as to the analysis of mental occurrences and as to the relation; of mind and body, and some of these propositions, as time went on, became very difficult to maintain.  出典:Religion and Science, 1935, chapt. 5:  情報源:https://russell-j.com/beginner/RS1935_05-100.HTM

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