第10章 権力の源泉としての信条 n.15  


 興奮を生み出すためにいろいろな宣伝方法が利用されればされるほど,それに対する反動はそれだけより大きくなり,終には静かな生活(平穏な人生)のみが価値を持つ(それ以外価値がない)と思われるようになる。休息の時期を経て,民衆が再び興奮することができるようになる時には,彼らには新しい刺激が必要であろう。というのは,古い刺激は全て退屈なものになってしまっているからである。そういうわけで,信条を強烈に(過度に)利用しすぎると,その効果はつかの間のものになる。十三世紀においては,人々の想像力は三人の偉人に支配されていた。(即ち)ローマ教皇とローマ皇帝とスルタン(注:イスラム教国の君主)の3人である。皇帝とスルタンは(既に)消え,教皇の権力は過去の青白い影法師となっている。十六世紀及び十七世紀の初期には,旧教徒(カトリック)と新教徒(プロテスタント)との戦いがヨーロッパ一円にひろまり,大規模な宣伝は,すべてはこの二つの信条のどちらかを支持するものであった。それにもかかわらず,最終的な勝利は,新旧キリスト教のどちら側にも行かず,両者の論争は重要ではないと考えた人々の側に行ったのである。J. スウィフトは旧教徒と新教徒との葛藤を(『ガリヴァー旅行記』の中の)「大エンディアンと小エンディアンとの戦い」の中で風刺した。(注:ガリバー旅行記の第一部「小人国」では、卵を丸い方(大きい方)の端から割る人々(Big Endians)と尖った方(小さい方)の端から割る人々 (Little Endians) との対立が描かれている。) ヴォルテールのヒューロン(注:ボルテール『哲学的物語』の主人公で、ヨーロッパの退廃した文明社会を批判する「高貴な未開人」のこと)では,主人公があるジャンセン教徒と一緒に投獄されてみて,政府が自分の変説(recarnation 自説の撤回)を要求するのも愚かならば,自分が命を犠牲にしてそれを拒否するのも愚かだと考える(注:つまり,どちらもたいしたことではないと考える)。もし、近い将来,世界が共産主義者とファシスト(全体主義者)と間で分裂するならば,最終的な勝利はどちらにも行かずに,そのような世の有様に肩をすくめ,ちょうどキャンディード(の物語)(注:)のように「それは結構な話だが,我々は(生きていくために)畑を耕さなくてはならない(cela est bien dit, mais il faut cultiver notre jardin.)」という人々のもとへ行くであろう。信条のカに対する最終的な制限は,退屈や倦怠や安逸(を願う気持)によって置かれている(のである)

Chapter X: Creeds as Sources of Power, n.15 The more the methods of propaganda have been used to produce excitement, the greater will be the reaction, until in the end a quiet life comes to seem the only thing worth having. When, after a period of repose, the population again becomes capable of excitement, it will need a new stimulus, since all the old stimuli have become boring. Hence creeds which are used too intensively are transitory in their effects. In the thirteenth century, men’s imaginations were dominated by three great men: the Pope, the Emperor, and the Sultan. The Emperor and the Sultan have disappeared, and the Pope’s power is a pale shadow of what it was. In the sixteenth and early seventeenth centuries, the wars between Catholics and Protestants filled Europe, and all largescale propaganda was in favour of one or other of the two creeds. Yet ultimate victory went to neither party, but to those who thought the issues between them unimportant. Swift satirized the conflict in his wars of Big-Endians and Little-Endians ; Voltaire’s Huron, finding himself in prison with a Jansenist, thinks it equally silly of the government to demand his recantation and of him to refuse it. If the world, in the near future, becomes divided between Communists and Fascists, the final victory will go to neither, but to those who shrug their shoulders and say, like Candide, “cela est bien dit, mais il faut cultiver notre jardin.” The ultimate limit to the power of creeds is set by boredom, weariness, and love of ease.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER10_150.HTM

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