誰も疑うことができないほどの確実な知識?


BR-REVRS 理性的な人間なら誰も疑うことができないほどの確実な知識というものが,この世にあるであろうか。この問いは,一見難しくないように思われるかもしれないが,実は,あらゆる問いのなかで最も困難な問いの一つである。この問いに真っ向から,確信のある答えを得ようとする途上でぶつかるさまざまな障害に気がついたら,われわれは立派に哲学の研究をはじめていることになる--なぜなら,哲学とはそういう究極的な問いに答えようとする試みにほかならず,(哲学とは)日常生活において,さらには科学においてさえやるように,不注意に独断的な仕方によって答えるのではなく,その問題を紛糾させわからなくしているすべての事情をしらべ,我々の日常的観念のうちにひそんでいるすべてのあいまいさや混乱を自覚したのちに,批判的に答えようとする試みだからである。

Is there any knowledge in the world which is so certain that no reasonable man could doubt it? This question, which at first sight might not seem difficult, is really one of the most difficult that can be asked. When we have realized the obstacles in the way of a straightforward and confident answer, we shall be well launched on the study of philosophy — for philosophy is merely the attempt to answer such ultimate questions, not carelessly and dogmatically, as we do in ordinary life and even in the sciences, but critically after exploring all that makes such questions puzzling, and after realizing all the vagueness and confusion that underlie our ordinary ideas.
出典: The Problems of Philosophy, chap. 1 (1912)

[寸言]
何を,どういったことを「あいまい」とかんがえるか,「あいまいさ」の自覚」は人によって異なる。日常言語があいまいだからということで,日本人なら日本語の分析を,英語国民なら英語の分析をしてあいまいさをなくす努力をするだけで,それが哲学的営為だとする哲学者(グループ)もある。しかし,それは出発点(基礎作業)にすぎない。そういった人は,ウィトゲンシュタイン礼賛者に多い?

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