「川床の思考」は条件反射の一つ?


他のあらゆる区別と同様,生きているものと死んでいるものとの区別は,絶対的なものではない専門家がそれについて生きていると言う(呼ぶ)べきかあるいは死んでいると言う(呼ぶ)べきか決められない(ものとして)ウィルス(注:生命の最小単位である細胞をもたないため,「非生物」とされることもある。)が存在するし,また,条件反射の原理は,生きているものに特徴的であるが,他の領域にもその例を見い出せる(注:concerning which = about which ~について・・・)。たとえば,巻いた紙をのばすと(さまたげるものがなければ)すぐにもと通りになってしまうだろう(注:コンピュータ・ウィルスもよい例)。
 しかし,このような場合があるのに,我々は,条件反射を,生命の,特に生命の最高の形態において,また,特に人間の知性の特徴として,扱うことができる精神と物質との関係は,この点でひとつの結論に到る(機が熟する)。記憶に対応する何らかの特徴を持つとしたら,適当な刺激を受けたときに,再現(再生)を示唆するような仕方で,脳に対して起こることによって何らかの方法で影響を受けなければならない。これもまた,無生物の振る舞いによって、より少ない程度で(あるが)例証できる。たいてい乾いた状態にある川床(watercource)は,そこに水が流れるその時には,次第に水路を侵食し溝をつくり,次回に降る雨は,前回の流れを想い出させるコースに従って流れていく。あなたがお望みであれば,川底は冷い流れを経験する時に前回のことを「想い出す」,と言ってもよいかも知れない。それは空想の飛躍だ,とあなたは言うであろう。あなたは,川や川床は思考しないという意見なので,それは空想の飛躍だと言われるかも知れない。しかし,思考以前の出来事による(に起因する)一定の行動の修正から成立っているとすれば,川床の思考は,やや初歩的なものではあるが,川底は考えると言わなければならないだろう。どれほど湿潤な気候であっても,川床に九九の掛算を教えることはできないであろうが(そこまでは不可能であったとしても)。

Like all other distinctions, the distinction between what is living and what is dead is not absolute. There are viruses concerning which specialists cannot make up their minds whether to call them living or dead, and the principle of the conditioned reflex, though characteristic of what is living, finds some exemplification in other spheres. For example: if you unroll a roll of paper, it will roll itself up again as soon as it can. But in spite of such cases, we may take the conditioned reflex as characteristic of life, especially in its higher forms, and above all as characteristic of human intelligence. The relation between mind and matter comes to a head at this point. If the brain is to have any characteristic corresponding to memory, it must be in some way affected by what happens to it, in such a manner as to suggest reproduction on occasion of a suitable stimulus. This also can be illustrated in a lesser degree by the behavior of inorganic matter. A watercourse which at most times is dry gradually wears a channel down a gully at the times when it flows, and subsequent rains follow the course which is reminiscent of earlier torrents. You may say, if you like, that the river bed “remembers” previous occasions when it experienced cooling streams. This would be considered a flight of fancy. You would say it was a flight of fancy because you are of the opinion that rivers and river beds do not “think.” But if thinking consists of certain modifications of behavior owing to former occurrences, then we shall have to say that the river bed thinks, though its thinking is somewhat rudimentary. You cannot teach it the multiplication table, however wet the climate may be.
出典:Bertrand Russell : Mind and Matter (1950?)
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/19501110_Mind-Matter100.HTM

<寸言>
植物状態なら「まだ生きている」と言えるだろうが、どのような状態になったら死んだ状態になるかははっきりしない。最近、NHK総合TVだったか、BS1だったか、脳死状態になっても20秒間は(反応ができなくても)まだ生きた状態にあると紹介があり、某タレントが、「(20秒間は)医者が”ご臨終です”と言っても、故人の悪口(悪態)は言わないほうがよい」と冗談を言っていたのを記憶している。「ご臨終」の状態でも、電気ショックなどでたまに「生き返る」ことがあるが、しかし完全に死んでいれば「生き返る」ことはないので、「死んでいたわけではない」ということになる。
いずれにしても、生命現象は謎の部分が多い。

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