自由と幸福な人間世界に至る道があることを信じて・・・

 しかし,このような全ての失敗の重荷の下に,私には何か勝利と感じられるものをいまだ意識している。私は理論的真理を誤って抱いたかも知れないが,そういったものが存在し,それらは忠誠に値するものだと考えたことにおいて,間違ってはいなかった。私は自由と幸福な人間の世界に至る道,現にそうだとわかったものよりも短いと考えたかもしれないが,そのような世界は可能であり,そのような世界に近づこうという目的をもって生きることは価値あることであると考えたことにおいて,聞達ってはいなかった。私は,個人的及び社会的なヴィジョン(夢)を追求しながら生きてきた。個人的には,高貴なもの,美しいもの,やさしいものを大切にすること;より世俗的な時代において,知恵を生み出すために洞察の瞬間(時間)を与えること;社会的には,創造すべき社会を想像力によって理解すること。そういった社会においては,個人が自由に成長し,憎悪や貪欲や羨望(ねたみ)は,それらを育むものが何もないために死滅している。これらのことを私は信じており,そうして(それゆえに),世界はそのあらゆる恐怖にもかかわらず,私の決心を揺るがないままにしたのである。

But beneath all this load of failure I am still conscious of something that I feel to be victory. I may have conceived theoretical truth wrongly, but I was not wrong in thinking that there is such a thing, and that it deserves our allegiance. I may have thought the road to a world of free and happy human beings shorter than it is proving to be, but I was not wrong in thinking that such a world is possible, and that it is worth while to live with a view to bringing it nearer. I have lived in the pursuit of a vision, both personal and social. Personal: to care for what is noble, for what is beautiful, for what is gentle; to allow moments of insight to give wisdom at more mundane times. Social: to see in imagination the society that is to be created, where individuals grow freely, and where hate and greed and envy die because there is nothing to nourish them. These things I believe, and the world, for all its horrors, has left me unshaken.
出典: Reflections on My Eightieth Birthday (1952)
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/0987_RoMEB-070.HTM

<寸言>
どのような暗い時代にも絶望に陥ることなく,希望を持ち続け,人間性を信じて努力したラッセル。
それに対し、少しつきあたっただけで諦めたり開き直ったり、悪を見過ごしたり、加担したりする人間がいかに多いことか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です