情熱のみが情熱を統御できる Only passion can control passion.


tubuyaki-032 以上の見解を受け容れる人間に当然ながら生じてくる第一の思いは,人間がもっと理性の支配下にあればいいのだが,ということである。戦争は必然的にすべての戦闘員にはかり知れない危害を加えずにはいないということを理解している人々にとって,戦争は単なる狂気,つまり平和時に知られたすべてのことどもを忘れ去る一つの集団的狂気(精神異常)に思われる。種々の衝動がもしより多く統制されたり,また思考が情熱に支配されたりすることがより少なければ,人間は戦争熱が近づくことに反対し,自らの知性を守るであろうし,いろいろな紛争も調停によって平和的に解決されるであろう。このことは本当だが,それ自体で十分であるとはいえない。正しく思考しようとする欲望(欲求)は,戦争の情熱を統御するにふさわしい,ということを見出す人々は,その人々自身の正しく思考しようとする欲望(欲求)が,それ自体一つの情熱となっているような人々だけである。情熱のみが情熱を統御できるのであり,逆方向の衝動あるいは欲望のみが,衝動を抑制しうるのである。伝統的なモラリストたちが説いた形での理性は,良い生活をつくり出すにはあまりに消極的であり,またあまりにも生気を欠いている。戦争を阻止しうるのは,理性のみによるものではなく,戦争に導く衝動や情熱に反発するところの,積極的な衝動と情熱のある生活によってである。変える必要があるのは,意識的な思考の生活だけでなく,衝動の生活である。
(写真:1955年7月9日、ラッセル=アインシュタイン声明を発表中のバートランド・ラッセル)

The first thought which naturally occurs to one who accepts this view is that it would be well if men were more under the dominion of reason. War, to those who see that it must necessarily do untold harm to all the combatants, seems a mere madness, a collective insanity in which all that has been known in time of peace is forgotten. If impulses were more controlled, if thought were less dominated by passion, men would guard their minds against the approaches of war fever, and disputes would be adjusted amicably.
This is true, but it is not by itself sufficient. It is only those in whom the desire to think truly is itself passion who will find this desire adequate to control the passions of war. Only passion can control passion, and only a contrary impulse or desire can check impulse. Reason, as it is preached by traditional moralists, is too of negative, too little living, to make a good life. It is not by reason alone that wars can be prevented, but by a positive life of impulses and passions antagonistic to those that lead to war. It is the life of impulse that needs to be changed, not only the life of conscious thought
出典: Principles fo Social Reconstrucition, 1916, chapt.1: the principles of growth
詳細情報:http://russell-j.com/cool/10T-0101.HTM

[寸言]
理性は情熱の奴隷である。そうであるからこそ,邪な情熱を持つことは周囲に大きな被害をもたらすし,善い情熱は周囲に大いなる恩恵をもたらす。

戦争を防止するのに一番力になるのは,仮想敵国に対する,抑止力になるような大規模な「武力(軍事力)」ではないだろう。ラッセルが指摘するように,戦争をしてはいけないという強い情熱と,紛争にならないようにするための外交的努力が必要である。たとえ相手国が嫌いであっても,いや嫌いであるからこそ、そういった「努力」が必要となる。好きであれば「努力」とは感じられない。

外交的努力よりも前に,相手が怒ることを承知の上の行動をとり,仮想敵国の恐ろしさを印象づけるやり方は、資本主義国でも社会主義国や共産主義国でも、体制の違いなく,好んで採用される。日本やアメリカは「自由主義国」だから民主的だとは限らない。

某首相は、国防予算はあまり増やさないと言いながら,兵器に関する三原則を「緩和」し,武器を海外にどんどん売って,景気刺激策(アベノミクス)に利用しようとしている。多くの国民もそれを知っていながら知らないふりをしているのか・・・? 紛争当事国には販売しないというが、同盟国に売った民生品(兵器や兵器の部品として転用可能なもの/特に電子部品?)が紛争当事国に高額で売られ、日本の武器(及び武器に転用されたもの)がそう遠くない将来、紛争当事国において使用されることになる可能性が大である。いやもう使用されているが、公表されていないだけかも知れない。

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