私と同じ世代の人々と同様,私も「何もしないで怠けている者のところには,悪魔がやってきて,何か不幸の種を見つけ出す」(宗教詩人 Issac Watts, 1674-1748 の句。Moral songs for children にある。)という格言に則って,(いつも何かしているように)育てられた。私は非常に善良な子供だったので,言われたことは何でも信じ,良心の持ち主になり,私はその良心によって現在まで一生けんめい働き続けてきた。しかし,私の良心は,私の「行為」を支配してきたけれども,私の「考え]はすっかり変ってしまっている。私は次のように考えている。即ち,これまで,世界中で,あまりにも多くの仕事(労働)がなされており,仕事は善いものだという信念が,恐ろしく多くの害をひきおこしており,(それゆえ)現代の産業国家で教えさとす必要のあることは,今までいつも説教されてきたこととはまるきり違うものである,と。
日なたぼっこをしている12人の乞食を見つけ(ムッソリーニの時代以前のことであった。),その中で最もなまけものに1リラをやろうと申し出た,あのナポリの旅行者の話を知らない人はいないだろう。。11人の乞食がそれをもらおうと飛び上がったので,その旅行者は,じっとしている12人目のものにお金を与えた。この旅行者のやったことは,正しい。しかし地中海の陽光のめぐみを享受できない寒い国々においては,何もせずに怠惰でいることははるかに難しいので,怠惰を始めるには,大規模な公的宣伝が必要となるだろう。キリスト教青年会の指導者諸君は,以下のページを読まれた後は,善良な青年たちを,何もしないように導く運動を始めてくださることを希望する。もしそうなれば,私としては生き甲斐があったことになろう。
Like most of my generation, I was brought up on the saying: ‘Satan finds some mischief still for idle hands to do.’ Being a highly virtuous child, I believed all that I was told, and acquired a conscience which has kept me working hard down to the present moment. But although my conscience has controlled my actions, my opinions have undergone a revolution. I think that there is far too much work done in the world, that immense harm is caused by the belief that work is virtuous, and that what needs to be preached in modern industrial countries is quite different from what always has been preached. Everyone knows the story of the traveller in Naples who saw twelve beggars lying in the sun (it was before the days of Mussolini), and offered a lira to the laziest of them. Eleven of them jumped up to claim it, so he gave it to the twelfth. This traveller was on the right lines. But in countries which do not enjoy Mediterranean sunshine idleness is more difficult, and a great public propaganda will be required to inaugurate it. I hope that, after reading the following pages, the leaders of the Y.M.C.A. will start a campaign to induce good young men to do nothing. If so, I shall not have lived in vain.
出典: In Praise of Idleness, 1935, chap.1.
詳細情報:http://russell-j.com/cool/32T-0101.HTM
[寸言]
組織(私的、公的を問わず)の命令や指示によって過重労働を強いられる,あるいは「自主的に」過重労働をするように誘導され,ひどい場合には「過労死」にいたるなんてことは、先進国の日本において,あってはならない。
「過労死」であることが明らかになり,本人の体調管理のまずさのせいにできないことがわかると,経営者や執行役員連中は,「上からは指示していない」、「超勤については現場に判断をまかせている」とか弁解し,自分たちの責任を回避するのが普通となっている。しかし、過重労働をさせないような組織体制にしておくのは彼らの重要な仕事の一つであり,過重労働を発生させないように現場の管理職を指導するのも彼らの仕事だということをあまり自覚していないようである。
(過労死で亡くなった)電通の高橋まつりさんは、東大文学部を卒業した新入社員であり,能力がなくて仕事がたまったために「過重労働」になったわけでなく、あくまでも業務量が何倍にもなっているのに、会社が担当者を増やすことなく、実態をよくみずに「電通鬼十則」をたてに、過重労働を強いた結果であった。「電通鬼十則」とは、
1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
2. 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。
しかし,「表」があれば必ず「裏」がある。「裏」バージョンもよいものとは言えないが,表の規則が厳しすぎると,裏の規則も必要以上に後ろ向きのものになってしまう。
★「電通裏十則」★
1)仕事は自ら創るな。みんなでつぶされる。
2)仕事は先手先手と働きかけていくな。疲れるだけだ。
3)大きな仕事に取り組むな。大きな仕事は己に責任ばかりふりかかる。
4)難しい仕事を狙うな。これを成し遂げようとしても誰も助けてくれない。
5)取り組んだらすぐ放せ。馬鹿にされても放せ、火傷をする前に…。
6)周囲を引きずり回すな。引きずっている間に、いつの間にか皆の鼻つまみ者になる。
7)計画を持つな。長期の計画を持つと、怒りと苛立ちと、そして空しい失望と倦怠が生まれる。
8)自信を持つな。自信を持つから君の仕事は煙たがられ嫌がられ、そしてついには誰からも相手にされなくなる。
9)頭は常に全回転。八方に気を配って、一分の真実も語ってはならぬ。ゴマスリとはそのようなものだ。
10)摩擦を恐れよ。摩擦はトラブルの母、減点の肥料だ。でないと君は築地のドンキホーテになる。