「倫理学は知識の一部門ではない」

倫理学について著述をしようと私を導いたものは,頻繁に私に対してなされた非難 -即ち,私が知識の他の諸分野については多かれ少なかれ懐疑的な探求を行っているのに,倫理(学)の問題については,(自分の)初期の論文の中でムアの『倫理学原理(プリンキピア・エティカ)』について詳しく述べている以外は,避けている- という非難にあった。それに対する私の答えは,倫理(学)は知識の一部門ではないということである。

tpj-hsep そこで私は今や,この倫理問題の探求を別のやり方で着手した。私はこの本(Human Society in Ethics and Politics, 1954)の前半の第一部(注:2部構成)で,倫理学の基本概念(根本概念)をとり扱った。第二部で,これらの概念を政治の実際に適用する問題をとり扱った。第一部では,善悪,罪,迷信的な倫理,倫理的制裁といった概念を倫理規則(道徳律)として分析している。即ち,これらすべてのなかで,伝統的に倫理的として分類づけされている主題における倫理的要素を探求している。私が現在到達している結論は,倫理(学)は独立(自立)している要素ではなく,どこまでも分析していくと最後には政治(政治学の問題)に還元できるというものである。

たとえば,(両)当事者(注:国,地域,民族,宗教など)が互角に対抗している戦争(の問題)について,われわれは何を言うべきであろうか。そのような情況では,どちらの側も,自分たちの側が正しい(正義であること)は明らかであり,自分たちの側(注:国,地域,民族,宗教など)が敗れるのは’人類の不幸’である,と主張するだろう。この主張を証明する方法としては,他の倫理的概念,たとえば’残酷(な行為)に対する憎悪‘,あるいは’知識あるいは芸術に対する愛‘といったような概念に訴える以外に方法はないであろう。セント・ピータース寺院を建立したことでルネッサンス時代を皆讃美するかも知れない。しかし中には,自分は セント・ポール寺院のほうがよいと思うといって皆をまごつかせる者がいるかもしれない。あるいはまた一方の側がついた嘘から戦争が勃発してしまったかもしれず,その嘘もついには他方の側にも同じような虚偽があったことが明らかになるまでは戦いのための賞賛されるべき根拠であるように思われるかもしれない。

gca_jolly この様な性質の議論に対しては純粋に合理的な結論というものはまったく存在しない。もしある人が地球は丸いと信じ,他の人が地球は平らだと信じているのであれば,彼らは一緒に航海に出てこの問題を合理的に決めることができる。しかしもし,ある者がプロテスタントを信じ,他の者がカトリックを信じる場合は,合理的(理性的)な結論に達する方法というものは何一つ知られていない。

そのような理由から,私は,倫理的な「知識」というものはまったく存在しないと主張するサンタヤーナと意見に同意するようになったのである。しかしそれにもかかわらず,倫理的概念は歴史的にみて非常に重要性をもってきたのであり,倫理をぬきにして人間の問題を概観することは不適切であり,かつ部分的なものになってしまうと感じないわけにはいかないのである。

What led me to write about ethics was the accusation frequently brought against me that, while I had made a more or less sceptical inquiry into other branches of knowledge, I had avoided the subject of ethics except in an early essay expounding Moore’s Principia Ethica. My reply is that ethics is not a branch of knowledge. I now, therefore, set about the task in a different way. In the first half of the book, I dealt with the fundamental concepts of ethics ; in the second part, I dealt with the application of these concepts in practical politics. The first part analyses such concepts as moral codes; good and bad, sin, superstitious ethics, and ethical sanctions. In all these I seek for an ethical element in subjects which are traditionally labelled ethical. The conclusion that I reach is that ethics is never an independent constituent, but is reducible to politics in the last analysis. What are we to say, for example, about a war in which the parties are evenly matched ? In such a context each side may claim that it is obviously in the right and that its defeat would be a disaster to mankind. There would be no way of proving this assertion except by appealing to other ethical concepts such as hatred of cruelty or love of knowledge or art. You may admire the Renaissance because they built St Peter’s, but somebody may perplex you by saying that he prefers St Paul’s. Or, again, the war may have sprung from lies told by one party which may seem an admirable foundation to the contest until it appears that there was equal mendacity on the other side. To arguments of this sort there is no purely rational conclusion. If one man believes that the earth is round and another believes that it is flat, they can set off on a joint voyage and decide the matter reasonably. But if one believes in Protestantism and the other in Catholicism, there is no known method of reaching a rational conclusion. For such reasons, I had come to agree with Santayana that there is no such thing as ethical knowledge. Nevertheless, ethical concepts have been of enormous importance in history, and I could not but feel that a survey of human affairs which omits ethics is inadequate and partial.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 1: Return to England, 1969]
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/AB31-250.HTM

[寸言]
倫理学は知識論の一分野ではないという主張
この世に人間が一人しかいなければ倫理学の出る幕はない。また、人間がかなりいても、交流できない距離を保っていても倫理学の出る幕はない。人間が集団で住み、社会を形成して初めて倫理及び倫理学の必要性が出てくる。従って、倫理及び倫理学の問題は、社会学や政治学と密接に関わってくることになる。
aikoku-onna_seijikatachi そのことをよく理解しないで、人間の倫理を「真空の中で」「絶対的なもの」として考える者は暴走する。そういう者は、人間や国家が対立する場合には、どちらか(の国家)が絶対的に正しいと考えがちであるが、それは間違っているということを歴史が証明している。しかし、歴史を軽視する者(あるいは歴史を知らない者)は、自らの無知に気づかずに、同じ過ちを繰り返すことになる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です