人間の恐怖心や嫌悪心を利用する教会(ここではキリスト教教会)


 教会(キリスト教)において行なわれている恐怖心と嫌悪心の利用に対する,第二の,そして最も根本的な異議(反対)は,これらの感情は,いまや,教育的,経済的,及び,政治的改革によって,人間性から,ほとんど全て排除することができるということである。教育改革がその基礎(注:人間性からの排除の基礎)でなければならない。なぜなら,憎悪心や恐怖心を感じる人は, - 普通のキリスト教徒においてはそうであるように,多分無意識であるだろうが- (同時に)これらの感情を賞賛したり,永続化させたりもするだろうからである。恐怖心を排除しようと意図した教育を創りだすことは,決して困難なことではない(注:うっかりしたためか,大竹勝・訳『(ラッセル)宗教は必要か』にはこの一文が訳出されていない)。必要なことはただ,子供を親切に取り扱い,悲惨な結果をもたらさないで自主性を発揮することができる環境に子供をおき,暗闇であろうと,鼠(二十日鼠)であろうと,社会革命であろうと,そういったものに不合理な恐怖心を持っている大人に接触させないことである。子供に厳しい罰や,脅かしや,重々しくかつ過度な叱責にさらしてはならない(を与えてはならない)。子供を,憎悪(心)から救うためにはもっと手がこんだ処置が必要である。嫉妬を生じさせるような状況は,多様な子供たちの間における細心かつ厳格な公平さによって,ごく注意深く避けなければならない。子供は,彼に関係のある大人の少なくとも何人かの深い愛情の対象であるということを自覚する(できる)ようでなければならず,また,生命や健康に関係する場合を除いて,子供の自然な活動と好奇心とは,妨害されてはならない。特に,性に関する知識や因襲的な人々が不適切だと考えるような事柄についての会話においてタブー(禁忌)があってはならない。これらの簡単な教え(教訓)が,最初から守られているならば,子供は恐怖心がなく,友好的(な人間)になるであろう。

The second and more fundamental objection to the utilization of fear and hatred practised by the church is that these emotions can now be almost wholly eliminated from human nature by educational, economic, and political reforms. The educational reforms must be the basis, since men who feel hatred and fear will also admire these emotions and wish to perpetuate them, although this admiration and wish will probably be unconscious, as it is in the ordinary Christian. An education designed to eliminate fear is by no means difficult to create. It is only necessary to treat a child with kindness, to put him in an environment where initiative is possible without disastrous results, and to save him from contact with adults who have irrational terrors, whether of the dark, of mice, or of social revolution. A child must also not be subject to severe punishment, or to threats, or to grave and excessive reproof. To save a child from hatred is a somewhat more elaborate business. Situations arousing jealousy must be very carefully avoided by means of scrupulous and exact justice as between different children. A child must feel himself the object of warm affection on the part of some at least of the adults with whom he has to do, and he must not be thwarted in his natural activities and curiosities except when danger to life or health is concerned. In particular, there must be no taboo on sex knowledge, or on conversation about matters which conventional people consider improper. If these simple precepts are observed from the start, the child will be fearless and friendly.
出典:Has Religion Made Useful Contributions to Civilization? 1930
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/0466HRMUC-200.HTM

<寸言>
教会(宗教家)も政党(政治家)も人間(国民)の恐怖心や嫌悪心を利用することが少なくない。現代政治においては政教分離が原則となっているが,人間の恐怖心や嫌悪心を利用(悪用)することにおいては,案外,政党(たとえば公明党)と宗教団体(創価学会)とは親和性があるのかも知れない。
そうでなければ、野党の時と与党の時とでは、(公明党と創価学会のように)推進する政策が180度異なっても平気ということはないだろう。

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