「正義の仮面」をかぶって「不正」を働く


 ・・・。正義と不正とは一緒に(同時に)取り上げられなければならない。一方を強調し他を強調しないでいることは不可能である。さて(それでは),「不正」とは,実際(において),なんであろう。それは(不正とは),実際においては,群集によって嫌われている種類の行為である。それを不正と呼び,さらにこの概念を中心に入念な倫理体系を築いて,その嫌悪の対象に罰を加えることにおいて(に対して),群衆は自己の正当化を行なうのである。その一方,群集は定義によって正しいのであるから(注:単純な多数意見に対する皮肉),群衆がその残酷な衝動を解放するまさにその瞬間に,それは同時に,自分たちの自尊心を増大させる(のである)。これは私的制裁(リンチ)を行なう心理であり,犯罪者が罰されるその他の(種々の)方法の心理である。それゆえ,正義の概念の精髄は,正義の仮面で覆い隠すことによって,自らのサディズムのはけ口を与えることである。

Righteousness and unrighteousness must be taken together; it is impossible to stress the one without stressing the other also. Now, what is “unrighteousness” in practise? It is in practise behaviour of a kind disliked by the herd. By calling it unrighteousness, and by arranging an elaborate system of ethics around this conception, the herd justifies itself in wreaking punishment upon the objects of its own dislike, while at the same time, since the herd is righteous by definition, it enhances its own self-esteem at the very moment when it lets loose its impulse to cruelty. This is the psychology of lynching, and of the other ways in which criminals are punished. The essence of the conception of righteousness, therefore, is to afford an outlet for sadism by cloaking cruelty as justice.
出典:Has Religion Made Useful Contributions to Civilization? 1930
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/0466HRMUC-170.HTM

<寸言>
「悪を成敗する」という事で,歴史上,いかに多くの悪がなされてきたことか。そういった悪は「勝てば官軍」ということで,時の権力者(政府など)によって,「国のために戦った(国民の生命と財産を守る)」とかいうように美化されてきた。

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