恐怖(心)に対抗する方法(恐怖心を克服する方法)


 恐怖(心)に対抗する(恐怖心を克服する)方法は,二つあります。一つは外的な危険を減らすことであり,もう一つはストア学派風に忍耐力を養成することです。後者は,すぐに行動を起こす必要がある場合を除いて,我々の思考を恐怖の原因からそらすことによって補強することができます。}
恐怖(心)を克服することは非常に重要なことです。恐怖(心)(を持つこと)はそれ自体で人間の品位を落とします。それは容易に強迫観念となります。恐れているものに対する憎しみを生み出します。また,それは,過度な残酷さに,せっかちに導きます。安心・安全ほど人間に恩恵のある効果を与えるものはありません戦争の恐怖を取り除くような国際的な組織体制を確立できれば,日常の人々(注:特殊な人ではなく,一般の人々)の日常の精神状態に及ぼす改善は,甚大かつ急速なものになるでしょう。現在,恐怖(心)は,世界に暗い影をなげかけています。原子爆弾と細菌爆弾(細菌兵器)は,場合によって,悪しき共産主義者,あるいは悪しき資本主義者,によって支配されていますが,それらはワシントン(米国政府)とクレムリン(ソ連政府)を震撼させ,さらに人間を深淵(地獄)へと駆り立てています。
事態を好転させるべきとしたら,第一に必須な処置は恐怖(心)を減少させる方法を見つけることです。今日の世界は,相互に対抗するイデオロギーの闘争に取り憑かれており,その闘争の明白な原因の一つは,自分たち(自国/自分たちの陣営)のイデオロギーの勝利と相手(敵国/敵陣営)のイデオロギーの敗北についての欲求です。ここにおける基本的な動機は,イデオロギーと深い関係があるとは思いません。イデオロギーは単に人々を集団化(グループ分け)する方法にすぎないと,私は考えています。また,それに係る情熱は,対抗する集団の間に常に起こる情熱にすぎない,と思います。もちろん,共産主義者を嫌悪するのには多くの理由があります。
第一かつ最も重要な理由は,彼らは我々の財産を奪おうと望んでいる,と我々が信じていることです。しかし,夜盗も同じようなことやり,我々は夜盗を非難しますが,彼らに対する我々の態度は,共産主義者に対する我々の態度とは実に異なっています。その主な理由は,彼ら(泥棒)が同じ程度の恐怖(心)を我々に吹き込まないからです。
第二に,我々は,共産主義者が無宗教だという理由で嫌います。しかし,中国人は11世紀から(ずっと)無宗教であったのであり,彼らが蒋介石を(中国本土から)追い出してから,共産主義者を嫌い始めたのです。
第三に,我々は共産主義者は民主主義を信じないということで嫌いますが,我々はこれ(民主主義を信じないこと)がフランコ(注:スペインの独裁者)を嫌う理由にはまったくならないと考えています。
第四に,我々は,彼らが自由を許容しないという理由で彼らを嫌います。このことを我々(注:米国だけでなく英国などの西側諸国)は,非常に強く感じているので,彼らを真似ることを決心してしまったほどです(注:ラッセル独特の皮肉。米英その他において,”赤狩り(レッドパージ)”により,共産主義者と疑われる者を公職追放し,彼らの自由を奪ったことを暗喩している。自分たちの自由を守るために,自分たちと同じ価値観をもたない人間の自由を否定したり制限する,という「自由のパラドクス」を示唆している)。
明らかにこれらの理由のどれ一つとして,我々が共産主義者を嫌悪する本当の根拠ではありません。我々が彼らを嫌うのは,彼らを我々が恐怖し,彼らが我々を威嚇するからです。仮に,ロシアが今なおギリシア正教を固守していたとしても,仮に議会政治を制度化しても,仮に毎日のように悪口雑言をあびせる完全に自由な新聞を持っているとしても,それでも,彼らが現在持っているのと同じく強大な軍隊を持っており,もし彼らが(我々に)敵意を持っていると考させる根拠を我々に与えるならば,我々は彼らをあいかわらず嫌悪するでしょう。もちろん,「神学的憎悪」
(注:odium theologicum 宗教にはいろいろな宗派があるが,お互い自分たちが正しいと信じ,お互いの違いを「単なる意見の相違」だとは認めない。そういったことから、多くの争いが起こったり,宗教戦争が起こったりした。J. S. ミルの「自由について」が参考となる。http://page.freett.com/rionag/mill_js/lib.html)  ということがあり,それは敵意の一因となりえます。しかし,それは集団的感情から派生したものである,と私は考えます。異なった神学を持つ者は,未知の人間(得体の知れない人間)だと感じます。そして未知のものはどんなものであっても危険に違いない,と感じます。実際,イデオロギーというのは,集団が創られる方法の一つであり,集団の発生がどのようであったとしても,その心理はほとんど同じです。

There are two ways of coping with fear: one is to diminish the external danger, and the other is to cultivate Stoic endurance. The latter can be reinforced, except where immediate action is necessary, by turning our thoughts away from the cause of fear. The conquest of fear is of very great importance. Fear is in itself degrading; it easily becomes an obsession; it produces hate of that which is feared, and it leads headlong to excesses of cruelty. Nothing has so beneficent an effect on human beings as security. If an international system could be established which would remove the fear of war, the improvement in everyday mentality of everyday people would be enormous and very rapid. Fear, at present, overshadows the world. The atom bomb and the bacterial bomb, wielded by the wicked communist or the wicked capitalist as the case may be, make Washington and the Kremlin tremble, and drive men further along the road toward the abyss. If matters are to improve, the first and essential step is to find a way of diminishing fear. The world at present is obsessed by the conflict of rival ideologies, and one of the apparent causes of conflict is the desire for the victory of our own ideology and the defeat of the other. I do not think that the fundamental motive here has much to do with ideologies. I think the ideologies are merely a way of grouping people, and that the passions involved are merely those which always arise between rival groups. There are, of course, various reasons for hating communists. First and foremost, we believe that they wish to take away our property. But so do burglars, and although we disapprove of burglars our attitude towards them is very different indeed from our attitude towards communists – chiefly because they do not inspire the same degree of fear. Secondly, we hate the communists because they are irreligious. But the Chinese have been irreligious since the eleventh century, and we only began to hate them when they turned out Chiang Kai-shek. Thirdly, we hate the communists because they do not believe in democracy, but we consider this no reason for hating Franco. Fourthly, we hate them because they do not allow liberty; this we feel so strongly that we have decided to imitate them. It is obvious that none of these is the real ground for our hatred. We hate them because we fear them and they threaten us. If the Russians still adhered to the Greek Orthodox religion, if they had instituted parliamentary government, and if they had a completely free press which daily vituperated us, then – provided they still had armed forces as powerful as they have now – we should still hate them if they gave us ground for thinking them hostile. There is, of course, the odium theologicum, and it can be a cause of enmity. But I think that this is an offshoot of herd feeling: the man who has a different theology feels strange, and whatever is strange must be dangerous. Ideologies, in fact, are one of the methods by which herds are created, and the psychology is much the same however the herd may have been generated.
出典:Bertrand Russell: What Desires Are Politically Important? 1950
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/0944WDPI-140.HTM

<寸言>
自分にとって身近でないものについては違和感を持ったり,嫌悪感を抱いたり,恐怖心を持ったりしがち。そうならないためには,いろいろなことを知ったり体験したりして,多くのことに対して免疫を持つのがよい。

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