並外れた「親切行為」によって愛情を獲得しようと努力する者

gizen_aida-mituo 自分は愛されていないと感じる人は,その結果,さまざまな態度をとる可能性がある。彼(彼女)は,愛情を得るために,多分,並みはずれた親切な行為によって,必死の(絶望的な)努力をするかもしれない。しかし,そのようなことをしても,失敗する可能性が非常に高い。なぜなら,親切な行為の動機は,その親切を受ける者(恩恵を受ける人)に感得されるからであり,また,人間性は,愛情を最も要求しないように思われる人に最も進んで与える,というようにできているからである。それゆえ,親切行為によって愛情を獲得しようと努力する人は,人間の’忘恩’を経験して,幻滅することになる。
出典:ラッセル『幸福論』第12章「愛情」
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA23-010.HTM

The man who feels himself unloved may take various attitudes as a result. He may make desperate efforts to win affection, probably by means of exceptional acts of kindness. In this, however, he is very likely to be unsuccessful, since the motive of the kindnesses is easily perceived by their beneficiaries, and human nature is so constructed that it gives affection most readily to those who seem least to demand it. The man, therefore, who endeavours to purchase affection by benevolent actions becomes disillusioned by experience of human ingratitude.

[寸言] 24-hour_shogaishaha-kirai_gizen.png
「親切な行い」はもちろんこの世に多くあってほしい。感謝を求めない日常的なささいな親切行為の積み重ねはすがすがしい。しかし,感謝されることを期待して行われる「親切行為」はうとましい。

24-hour_shogaishaha-kirai_gizen だから、たとえば、1年のほとんどは弱者のことは見捨てているのに年に数回だけ「24時間愛は地球を救う」といった番組を放送するマスコミに対しては違和感を覚える人も少なくない(のではないか?)。実際、「24時間テレビ」は健常者には評判が良くても障害者には評判は良くない(右図参照)。どれだけの人がそのことを知っているのか!?
いや、こういった番組は障害者のためというより、日頃,障害者を無視している健常者が自分は本当は心が清いのだと思いたいためのカタルシス番組だと考えれば納得できるかも知れない。そういえば、「24時間愛は地球を救う」を放送しているのは(弱者切り捨ての政策を推し進める安倍政権のヨイショばかりしている)日本テレビや読売テレビでしたね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です